週明けの月曜日。
 ビュービューと自己主張の激しい木枯らし。
 空模様は太陽が見えているのが唯一救いの泣き出しそうな重い曇天。
 受験対策でプリントばかりの授業とも言えない授業を午前分終えて、厚志は包みと水筒を持って教室を出た。
 階段を三つ上って、屋上の扉の前。
「まだ来てないのか…いや、半々か」
 施錠されたままの厳重な鍵を見て、厚志は白い吐息と共に、確認を無意識に呟き、その推測を打ち消した。彼女の性格上、鍵が掛かっているからといって、その奥にいないとは限らない。
 厚志は床に弁当を置き、代わりに奈央から借りた鍵をブレザーのポケットから取り出して、先日彼女がやっていた手順を思い返しながらカチャカチャと錠を弄る。開錠の手順を覚え間違っていなかったからか、意外と安っぽい音がして立ち入り禁止以上に立ち入らせない為の鍵は、今は只の豪奢な飾りになってしまった。
 学校内にあるノブ型の扉と一律の型の扉は、更に間の抜けた印象で、内外の線引きの役割をあっさりと放棄した。
 途端吹き付ける風。フェンスがキシキシと控え目な抗議を上げる。風の湿気は薄く、予報通りなら午後から雨が降る黒雲を上空に、屋上にシートを広げてプラスッチクの箱に詰められた昼食を突付きながら左手を上げている女子生徒の姿があった。
「こんにちは、先輩」
「こんにちは、碑蔵さん。今日はこっちでお昼も食べてるんだ。ご一緒させてもらっていいかな」
「いいよ。…驚いてないんだ、気付いてた?」
 厚志は着座を認められたレジャーシートまで歩み寄り、奈央の座っている反対側に腰を下ろした。広げられたシートには彼女の髪が触れている。成程、幾ら屋上のコンクリが案外綺麗とは言え、彼女ほどの髪の長さなら敷物は必要だろう。
「何と無く。理由も、まあ想像は付いてる」
「へ~、それじゃ言ってみて。当たってたら私のおかず一品好きなの上げる」
「じゃあ外れてたら僕も一品進呈で」
 厚志は包みを解きながら、奈央との一種の賭けに乗った。
「碑蔵さんの立場からすると、今日、僕は鍵を貰って初めて屋上にやって来る訳だ。そして先に屋上に来た碑蔵さんは、僕がまだ来ていない事を確認してこう考えた。『折角だから開錠からやらせてやろう』と、僕の想像ではこうだよ。当たってる?」
 弁当の蓋を開け、顔を上げる厚志。そこには厚志の回答に満足した表情の奈央がいた。
「BINGO♪ ま、私がいるって予想が付いてた時点で、結果は見えてたけどね」
「確かに。これ以外に予想を立てる方が難しい。でも、賞品は頂くよ」
「む、意外に厳しい。断っても無理矢理押し付けてたけどさ」
「はは」
 彼女らしいと、奈央のおかずを一品頂こうと厚志は箸を伸ばして、メインのタレ焼の鶏肉ではなく、まだ手が付けられていないらしい芋と人参の煮物を選び、一欠けずつ取った。
「初心者~♪」
「…五月蝿いよ。勝った僕が何を選ぼうと勝手じゃないか」
「先輩、自分で負け惜しみと分かってる言葉を口にすると、一層惨めだと思うんだけど」
 厚志は勝ったのに何故か敗北感と共に、芋の煮付けを口にした。
「…美味しい…」
 崩れ過ぎず、そして味付けはしっかりと染み込ませた、見事な煮付けだった。
「それはどうも。姉さんには私から美味しかったって言っておく」
「お姉さんが作ったんだ? 碑蔵…遥子先輩だよね」
「ええ。姉さん、今日はカフェテラスじゃなくて彼氏にお弁当を作っていく約束をしてたらしいから。それを私が作る訳にもいかないでしょ」
「それはそうか。お弁当にするなら格好付けたいだろうし」
 厚志は人参もありがたく頂いて、自分の分の弁当に取り掛かった。奈央もタレ焼き鶏を口に運ぶ。冷めて、多少タレが固まっているがそれでも不快な舌触りではなく、味付けもいい。
「そう云えば、二年前は姉さんが世話になったそうだけど、覚えてる?」
 ふと、昨日遥子とした一つのエピソードの話を振る。厚志は咀嚼していたゆで卵を嚥下してから口を開いた。
「そんな事もあったね。何とか応急処置出来て、体育祭中誤魔化しきれてよかったよ。崩れたりしないか少し不安だったんだ、実は」
「先輩らしいね。素人治療でも大丈夫だと思ったんなら自信持ちゃいいのに」
「僕が責任を被るのなら、自信も持てたよ。実際大丈夫だと思ってたし。不具合があった時謝ればいいって言うのは暴論かも知れないけど、大した怪我をするようなものじゃなかったから。―――で、追求される責任問題だけど、それを受けるのは体育祭の用具係の人達…は自業自得だから置いて置くとして。気付いたけど誤魔化そうと素人治療した先輩も入っちゃうからね」
「それで少し心配? 何て言うか、人が良い通り越してお人好しの域ね」
「よく言われるから当たってるんだろうな。自分ではそんなつもりないんだけど」
 苦笑いしながら厚志は水筒の水を蓋の内にあるコップ代わりの器に注ぐ。奈央もそれに倣い、小休止にお茶を飲むことにした。濃い目の味付けの弁当には冷えた茶は殊更に美味しく感じた。

「ところで、先輩のお弁当はお手製? それとも、家族の誰かが作ったの?」
 先に食べ始めていた分、厚志より早く食べ終えた奈央は彼の弁当を見て質問する。
「母さんが作ってる。共働きで忙しいから、碑蔵さんの家みたいに手間は掛かってないけど、これはこれで美味しいよ」
 確かに見た限り、ゆで卵にウィンナーに火を入れたもの、キュウリとプチトマト、そして冷凍ハンバーグに鮭と鰹節のおにぎりと、簡単に作れる定番的なものだった。
「私のもそんな手間の掛かるものは作ってないよ。煮物は今夜のおかずにも使うから入ってるだけだし」
「どっちかというとお弁当に煮物を入れたいから、夕食に使うっていう理屈で作ったような気がするんだけど」
「多分当たってる。私がお弁当を作る時も似た様な考えで少し手間が掛かるものを入れたりするから」
 厚志が最後のおにぎりを食べ、食後のお茶を喉に流し込む。
「そういうことは考えるよね。やっぱりおかずも毎日違う?」
「意識して変えてる。食事は結構好きな性質だから、同じ献立だと飽きちゃうもの。それだと楽しめないでしょ」
「確かに。好きな物でも一週間続けば少し飽きるかもしれない。僕は慣れたけど」
 軽く肩を竦める厚志に、奈央は少し控え目に質問する。
「やっぱりお弁当って、普通は大まかな献立は一緒なの?」
「どうだろう。僕の知り合いはそうだったけどあれは親が作ってくれてるみたいだから、自分で作ってる人はまた違うんじゃないかな。親は作ったお弁当を自分では食べないけど、食事者が料理人なら明確に気分で作れるわけだから」
「ふ~ん。で、先輩はもう慣れてしまった、と」
「昔は本当に飽きたら自分で勝手に作ってたんだけど、今は時期が時期だから、母さんの顔を立てて遠慮してる。この献立字体は好きだしね。頭捻らせて、余計な労力を掛けて、挙句お弁当向きじゃないものになって不味くなっても困るし」
「それもそうか。私も姉さんが作り始めたての頃の見て覚えてるわ。中学だったから私に被害は無かったけど、失敗談は何度も聞いた」
 少し注意すれば分かるミスも多いのだが、何故か気付かないでそんなミスを犯すのだ。聡明ではあるがうっかりしている姉だからかと思っていたが、厚志の話を聞く限り案外何処も共通の様だった。
 その後も取り留めの無い、時間潰しの楽しい会話を、昼休みが終わるまで話し続けた。



 地を叩く音がする。土を潤し、コンクリには弾かれる恵の象徴として語られる雨粒が、ザーザーと、音を立てて降り始めていた。
「止まないもんだな」
 厚志は最後の授業まで終わらせて、窓から見える景色に小さな感想を漏らした。朝見た天気予報通りなので傘自体は持ってきており、心配無い。教室のベランダにある傘立てへ。昇降口にもあるがあちらだと適当に持って行かれかねないのだ。只でさえ利用者が少ない上に、余り学校では見かけない黒色の傘は一目で見付かった。
 傘を取り、教室を出、後は雨が横殴りにならない事を祈り帰るのみ、である。
 ♪♪♪♪
 携帯電話から着信を伝える電子音が比較的小さな音で鳴った。
「漣兄から? どうしたんだろ、珍しい」
 着信音で相手を確認し、人気の無い場所で携帯を耳に当てる。
「もしもし」
 お決まりの切り出しで相手の言葉を促す。
「よっ。今何処だ? もう帰り道か?」
「結構突拍子ないこと訊くね。まだ帰ってないよ。それがどうかした?」
「そいつは良かった。買出しの序で傍まで来ててな。良かったら送ってやるぞ。ああ、バイクじゃないから安心しろ」
 漣一の付け足しに厚志は苦笑する。確かに、漣一といえば車よりバイクの方が厚志にはイメージとして焼き付いている。
「じゃ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
 一つ返事で厚志は階段を下り、昇降口から校門までの僅かな距離がお役目になる傘の柄を、手の中で弄んだ。

 校門を出た眼の前に、漣一の車は停車していた。厚志は傘を閉める前に扉を開け、先に身体を滑り込ませる。
「何だ、傘持ってたのか。だったら気ぃ使わなくてもよかったか」
 脚を山吹色のパンツ。腕は黒シャツと、くすみはしても鮮烈さを失っていないジーンズジャンパーに通した長身の青年が、通常会話の声音が聞こえる辺りに入り次第、軽口を叩いた。
「悪いね、他意の無い好意には甘えるタイプで」
「別にいいさ。言い出したのは俺だしな」
 言いつつ、歩道にいる帰宅中の学生を置き去りにして漣一は車を発進させる。少し前方に合羽を着た自転車組の人間がいた。それもあっさり景色に置き去りにする。
 この華呉井かごい漣一れんいちという青年は、厚志の近所にある中華屋『招来しょうらい』の跡取り息子である。その縁で昔から厚志はよくしてもらい、親しみを込めて漣兄と呼んでいる。敬語を使っていないのは漣一の方からの要求だ。曰く「今までと口調が違うと気持ち悪い」との事。また、大型のバイクも乗りこなし、厚志が子供の頃から欲しかったマグナに対する想いが消えなかった要因でもあるだろう。
 自転車通学が許されない、家まで車なら信号待ちを考慮しても五分掛からない、漣一の掛けているアルバム一曲分の道のり。会話は少なかったが、気心の知れた者同士の沈黙は心地良いものだった。
 大蛇耶家まで到着した漣一は、玄関前の道路脇に車を横付けする。厚志は短く礼を言って、車のドアを開けた。
「偶には飯食いに来いよ。一人だけでも勿論、親御さんとか、友達とかとな」
 催促ではなく、純粋に振舞いたい気持ちから言われる、漣一の口癖。返す厚志の言葉も、ほぼ恒例。
「うん。今度食べに行くよ。漣兄がどれだけ腕を上げてるか楽しみにしてる」
「おう」
 厚志が降りたのを眼で見て、漣一は車を発進させた。



 夜。小綺麗に整頓された一室。部屋を与えられた頃からそのままの暖色系の色合いは、子供を思ってのものだろう。成長した息子によって増設された本棚には、漫画と小説とゲームと音楽CDが区分けして陳列されている。部屋に置いてくれた家に一台だけのデスクトップコンピューターは、主の手によって幾らかカスタマイズされていた。費用は、一応共用なので趣味に走らないレベルなら両親が出してくれている。バイトが許されていない進学校なので有り難い。
 尤も、彼には小遣い以外に臨時収出もあるのだが。今のところ大抵収に回っている。出の際も小さく済ましている。
 ♪♪♪♪
「と」
 携帯電話の着信音に、部屋の主―厚志は筆(指)を止めた。ワードに打ち込んでいた文書を保存する。勿論宿題ではない。追い込みの時期、受ける大学にも微かな違いがある状態で宿題等出ない。教科ごとの教員に自主申請するか、鳳仙の平均点を下回っている者には補習扱いの受験対策プリントを寄越してくれるが、厚志はそれを取っていない。
 パソコン端末のモニタスイッチをオフに。ジャンパーのポケットから携帯電話を取り出す。
「よ。夜分にニュースだ」
 電子の海の向こうから、漣一は開口一番、弾んだ声で言った。
「吉報そうだね。賭場開くのが決まったとか?」
 漣一の、ひいては厚志の友人達との博打。寺銭は無く、低レートながら金は賭ける。低レートとはいえ負けが込めば万を超える程度には設定されている。逆もまた然り。同意があればレートアップも高額サシ馬も認めており、漣一は一晩で十万勝ちした事もある。厚志も、種目麻雀での五千ビンタで三コロトップ一回を含む六連続連対で七万稼いだ事があった。以来、その時の漣一以外のメンバーは麻雀をやってくれない。
 厚志は受験生であっても、博打なら時間を調整して参加するつもりだった。
「外れだ。てか、メンバーが遠慮してお前は呼ぶなとよ。ったく、何で推薦取るだけの成績収めねえんだよ。取ろうと思えば取れたろうに」
「買い被りだよ。自分なりにベストの調子でこの成績なんだから。ガリ勉なんかしたらおかしくなる。二ヵ月後、大手を振って凱旋するよ。受験と言う異国からね」
「その大手を今から振ってる歌姫からの招待状だ」
「ユズだね」
「ああ。この日曜日にライブするって、夕方の便でチケットと届いた」
「そっちに届いたの? 二枚とも?」
「時期が時期だからお前の両親に遠慮したんだろ」
「そっか」
「多分な。殊勝なとこもあるじゃないか」
 厚志は電話越しに、漣一がチケットを傷める事無く指の間を滑らせているのを感じた。それは手持ち無沙汰の時、手先が器用な漣一が良くする所作でも会った。
「時間と場所は?」
 厚志の中にライブを蹴る選択肢は無い。元々勉強自体休みの日だ。流石に記憶が濁らない程度に復習はするが、一教科十分と掛からない。
 厚志にとってはそれで充分。
 脳の記憶は劣化する。しかし内容を何度も重厚に刷り込むか、或いは様々に関連付けて記憶すれば、その劣化は鈍くなり、引き出す事も容易になる。
 厚志はその能力に長けているのか幼少の頃から記憶力は良く、天才にも秀才にもなれないが、テストで点数を取れる類の生徒だった。
 例えば、問題集のテキスト。常人でも二週目は記憶の補強の意味合いになるだろうが、厚志の場合、一日睨めっこしていればその手の問題集を欄外含めて諳んじる事が出来る。一度やって時間の無駄だと気づいたので、物理や生物の構造など、生きる上で必要そうなもの以外は、要点だけ覚えるようにしている。
 また、幼い頃、厚志は両親から与えられた童話や絵本三十冊以上を丸暗記して朗読した事もある。その様を見て両親は神童かと思ったそうだが、厚志から言わせれば記憶力がいいだけの凡人だ。それ以外の頭脳は基本的に平均点なのだから、新たな発見が出来る偉人になれる確率は人並みである。後ろ向きな出来ないという言い方を厚志はしないが、確立はコンマ以下。況してや、向いていない以上職業にしないのだから、事実上0。
『十で神童、十五で天才、二十過ぎればただの人』とはよく言ったものである。修学が終われば、厚志の様な『似非天才』『似非秀才』が力を発揮するテストが無くなるのだから。
「場所はルーフ。開場は六時だな。忙しい時間だがいつも通り抜けられるだろ。うちの厨房スタッフが当日、風邪でも感染いて大勢休まない限りな」
 漣一が冗談っぽく笑う。彼にとっても楽しみなことなのだ。
「そこなら前に行ったことがあるね。じゃあ明日登校がてらチケット受け取って、当日は現地集合って事で」
「ああ。―――用はそれだけだ。また明日な」
「うん。また」
 交信を終了し、モニタ電源を入れる。書き掛けのメールの続きを入力していく。
「寝よ」
 時刻は23:00。康世と隆大に電話し、それぞれメールを確認させ、口頭でもやり取りし、連絡を終える。
 正規手順で端末の電源を落とし椅子から立ち、右手で首と後頭部の隙間をトントンと叩く。錯覚の神経を定位置に戻した感覚を得ると、厚志は灯りを消した。このままベッドに入っても良かったのだが、先刻の電話もあってヘッドフォンを手に取った。ベッドに入って布団を被り、リモコンでMDコンポに入れっぱなしのミニディスクを再生した。
《―――――藍色の空に囲われて 白い雲は地上に掛かる
 今でも瞬いている光年先のスター 通り過ぎた道を歩んでいる》
 短い前奏が終わり、少女の歌声が聞こえる。ユズのCDを厚志がMDに録音したものだった。
 元気な声だった。明るい声だった。勿論上手かった。厚志は彼女のファン一号だった。








 こっからキッチリ新作。結構先まで続きの予定は出来てるけど、構成を悩んできた予定と変えるかな。
 恒例の外見紹介。

 華呉井かごい漣一れんいち
 性別:男 年齢:21(4/26)
 身長:180 体重:70
 髪:黒(普) 瞳:黒(切れ長)

 次はまだ来週に間に合うかと






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