「あれ? 生きてるんだ?」
 秋原彰吾は普通の中学生だった。家族構成は祖父母は田舎にいる核家族形。高二の姉が一人。テストの点数が大した家庭学習もせず高得点を出せるのは中学生までなら充分有り得る事ではあるし、運動は元から好きで或る程度器用にこなせていた。交友関係も自然と仲良くなったもので、特別悪さもしていなければディープな世界の住人でも無い。公立中学校で成績がいい位で、特別普通の少年だった。
「おかしいな…ディイス様はわたしが何もしなければ死ぬしか無いって言ってたのに」
 幼い頃に十も違う兄の誠二が、五歳だった彰吾を庇って交通事故で死んだのが、変わっていると言えば変わっている位で…断じて、普通の少年だった。
「う~ん…でも生きてるんだからしょうがないよね。取り敢えず生還おめでとう! それでね、出来れば、わたしの為に死んで下さい!」
 だから、だから今俺の眼の前にいるこれに付いて、誰か説明してくれ!!


 本日は休日。彰吾は仲の良い友人宅へと自転車で向かっていた。彰吾以外にも二人来る。何れも男友達だ。彰吾位の年齢ではまだ仲間同士でわいわいやっている方が楽しい。特に今日の集まりはテレビゲームしてよし、外に出て良しの面子なので、かなり好き勝手やれる。
「っと。赤か」
 渡るべき交差点が遠目にも赤だと確認出来、ペダルを漕ぐ脚を緩める。
 信号まで来て、片足を着いて止まった。別に車は来ていないが、信号は教訓として守っていた。
 タイミングが悪かったのか、信号は中々変わらない。
 依然、車は来ていない。こんな真昼間なのに、珍しい。車影も、エンジン音すら聞こえない。普通の人なら、待つのが面倒になって渡ってしまうだろう。そう、丁度向こう側にいる子供みたいに。
「えっ?」
 エンジン音が聞こえた。何だろう、酷く嫌な予感がする。
 視界が、四輪の箱を捕らえた時にはもう動いていた。他人の為に命を張る云々の志を持っていた訳ではない。まるで自分のものでは無いように、只、咄嗟に身体が動いた。
 彰吾は子供を突き飛ばし、入り組んだ車線からブレーキが間に合わなかった軽自動車に、跳ねられた。意識なんて、何処かへと吹っ飛んだ。
 ―――死んだのかな
 なのにそんな声が聞こえて、ああ、俺は死んだんだと、何処かで感じた。


 ぼやっと眼を開く。
(あれ、いつ寝たっけ? ―――っ)
 身体を起こそうとして、節々に鈍痛が走った。あれだ、もう引退したけど部活で扱かれた翌朝の筋肉痛に似ている。ノロノロと上半身を起こす。暗い。とても暗い。月の光が僅かに差し込んでいるだけで、窓側の壁や、四方にあるカーテンは黒を薄くして夜を浮かび上がらせていた。
(四方?)
 おかしい。部屋のベッド周りをそんな間取りにした覚えもされた覚えも無かった。
 ここに来て、彰吾は漸くここが自分の部屋では無い事に気付いた。窓を除く三方の内一つのカーテンを開く。同じ様にカーテンが閉められている場所が五つあった。こうゆう間取りは知っている。
 左手で窓のカーテンを開く。地面が遠い。階層の低い場所から光が漏れている。
「…病院」
 言葉を口にした事で、頭がやっと働いて来た。
「えっと…」
 頭の中をひっくり返して考える。冴えてきた頭は直ぐに回答を用意してくれた。
「事故ったのか」
 溜息交じりに声に出す。もっと慌てるものかと思ったが、直面すると意外に冷静だ。
 ……経験済みなのもあるかもしれない。
 しかし何だろう。最後の記憶に変なノイズがあった気がする。…女の子の声の様な。
「よく見たら点滴張られてるよ俺」
 ははっと、寝起きの悪い自分を空笑う。
 短い空笑いを止めると、意識を失って寝ていた人間が起きたのが面会時間も消灯すらも遥か前に過ぎた深夜だったという場合はどうすればいいのかと考える。
「まあ、取り敢えずナースコールかな」
 まず報せる事からと考えた彰吾は、設置されているブザーへと手を伸ばそうとした。
「あれ? 生きてるんだ?」
 ビクッと、彰吾は声のした方に向いた。
「おかしいな…ディイス様はわたしが何もしなければ死ぬしか無いって言ってたのに」
 発言者は直ぐに見付かった。シーツ越しに彰吾の膝の上に乗って腕を組み組み考えている、小柄な女の子。蒼い髪に蒼い瞳。服も帽子もリボンもロッドも、全身蒼でカラーリングされている中唯一肌だけが白い。幼さを残した発刺そうな大きな瞳が特徴的だった。
 平常時で見れば、魔女っ娘チックな格好の偏見を入れても、可愛い部類に入るのだろう。
「お、おま…」
 だが今の彰吾には何が何だか分からない。今の体勢に人並みにドキドキするとかそんな次元の動揺じゃない。何か酷く直感的なもので、何か心の奥底、普段眼にしないものが揺さぶられる感じがする。
 そしてその動揺は、少女の一言で臨界を突破した。
「う~ん…でも生きてるんだからしょうがないよね。取り敢えず生還おめでとう! それでね、出来れば、わたしの為に死んで下さい!」
 にっこり印象通りの笑顔で。こんな事を言われて。動揺で叫び出さなかった強心臓は、本当に自画自賛したいほどだ。
「お、お前…」
「ん? 何?」
 邪気無さそうに、言い方は兎も角物騒な科白をはいたとは思えない笑顔でつっかえた先を訪ねて来る。
「…何…?」
 奇しくも彰吾の質問は彼女の質問と同じ一言で表される事が出来た。
「わたし? えっとね。ノウンって言うんだ。魂を運ぶお仕事をしてるの。失敗ばっかりだけどね! それで、わたしが生きるのには魂がどうしても必要なの。だから、今日死ぬ予定だった君の魂を、わたしに下さい」
 殺す者と殺される者の出逢いにしては、些か、かなり和やかな出逢いだった。


 仕事場で、特に急用が無いスティルは小説を読んでいた。その眼は一本線に形作られている。眼を伏せていても、彼位生きていれば本を読む位は造作も無い。
 この小説は、死んで生まれ変わらずこちらに残った珍しい人間が書いたものだ。生前は著名な作家だったらしい。人間の生活の人間味溢れるストーリーは、死神界だけでなく常世全体でも大人気だった。名は仰々しいが実は暇を持て余しがちな総轄者という職業柄、スティルも愛読している。
 時を刻む大きな音がした。スティルは本から顔を上げ、柔和な顔を微かに顰める。
「遅いですね…」
 本来ならもう、帰って来てもいい頃だが。境界線に現れる存在は全て探知出来るにも拘らず、彼女の気配は一つもなかった。
「失敗…したとしても、帰って来るにはいい頃ですが」
 まあ彼女は失敗と言うよりは死ぬ筈の人間を助けてしまう訳で。
 それは生物の魂を運ばなければ生きられない死神にとって死を意味する。
 ―――最後に魂を運んでから四万四千四百四十四日間運ばなければ生命力が尽きる。また、死なないまでも長期間間を開ければ生命力などが弱まり、やはり死ぬ―――
 死神でないものですら知っている事だ。彼女は怠ってしまった。それ故に通常二千年はある寿命が百二十年で尽きようとしているのだ。
 だから閻魔であるディイスが最も最近に死ぬ人間の任に向かわせたのに。失敗したとして、帰って来ればチャンスはまだあるというのに。
「まさか…」
 酷く嫌な予感がした。その少年が彼女の失敗以外で生きていて、彼女がそれに気付かず、或いは気付いてはいても拘ってしまっているのではないだろうかという予測だ。
 余りに有り得過ぎる予測に席を立ち掛け、しかし身体を戻した。
 総轄者であるスティルは四千の時を、ディイスに至っては六千の時を生きていた。
(本当に、歳は取りたくありませんね。理屈っぽくなってしまう。ねえ、ディイス)
 自分に手出しは出来ない。全ての責任は彼女が取らなければならない。そしてそれは彼女も理解の上だ。自分が出て行って彼女の決意を穢したくは無い。
 今、自分に出来る事といえば―――
「―――見届ける事だけですか」
 自嘲気味に溜息を吐いて、彼はまた、眼を閉じたまま本を読み始めた。


 彰吾は翌朝、ドアの開く音で飛び起きた。寝起きが悪いとは思えない形相でカーテンを開け放し、周囲を見回す。
 女性の看護師が驚いて見ていた。
「あ、秋原君、だったわよね」
「そうですけど」
 脊髄的に返事をする。
「起きて大丈夫なの? 先生にも連絡」
 まだ若いので慣れていないのか、動揺して多数の行動を起こそうとしている。
 そう言えば昨晩は結局ナースコールをしなかった。いや、あの少女が居ないと言う事は。
「夢…か…」
『あ、彰吾起きたんだ!』
 ビンと声に毛が粟立った。この声は聞いた事がある。
 見たくない、見たくないと思っても、視線が勝手に声の主を探してしまう。
『やっほー! おはよっ。彰吾』
 この病室唯一のドアに、
『もう、酷いよ。昨日は外に追い出して!』
 小柄な体躯の、
『でも言う事聞いて朝まで待ったんだから、今日はちゃんと話聞いてくれるよね』
 パンを片手に持った、蒼い、まるで漫画やアニメに出て来そうな少女がそこにいた。
「な、どうやって入って来た! ってか、何で掴み出されて無いんだ!」
「『えっ?」』
 少女の声だけじゃなく、もう一つ声が重なった。さっきの新人らしき看護師だ。
「え? って…」
「どうしたの秋原君?」
 看護士が気遣わしげに声を掻けて来る。彰吾は嫌な予感がした。
「あの、あそこに何か居ません?」
「? 何も居ないわよ?」
 ―――何も居ない。嘘は無い。見えて無い。
 ああ、そんな気はしていたけども。心の奥底で否定し続けていたのに。
 只のコスプレした頭に問題のある少女の方が、どれだけマシだったか。
 どうやら彼女は、昨日の発言の真意は別として、本当に人間では無いらしい。
 ?マークを浮かべている彼女を視界から外す様に、彰吾は頭を抱えた。


「彰吾、あんたホントに大丈夫なの!?」
「まあ、何とか」
 直ぐに家族に連絡が行き、検査を取られている間に来たのだろう姉の亜紀が一番に声を上げた。彰吾は自分の後ろを歩いている脳や眼球の異常でもなかった少女の存在を背に冷や汗を垂らしながら頷いた。異常だったらの望みも消えた。それはそれで不味いというのはこの際気にしないし、違った以上どうでもいい。
 更に、検査室は今てんてこ舞いだ。この少女がコードに脚を引っ掛け、興味本位で機材を触り、しかもそれを検査中にやられたので彰吾は本当に殺されるのかと思った。
「先生、それで、どうだったんですか?」
 改めて、父親の英吾が尋ねる。彰吾も余りに異常が無かったので、先生から先に結果を聞いていたが、今一度結果に耳を傾ける。
「怪我は奇跡的にも掠り傷。脳も眼球も異常無し。今直ぐにでも退院出来ますよ」
 医師は朗らかに言った。後ろの惨状に対する引き攣りを幾らか残していたが、彰吾の家族はそれに気が付かなかった。
「よかったな、彰吾」
「本当。もう心配で心配で」
 父も母の沙希も方々に感想を言い、祝ってくれる。
「ったく、心配させないでよね!」
 姉の亜紀はそっぽを向きながらも、無事を喜んでくれているのがよく分かる。
『いいなぁ…』
 後ろから、声が聞こえた。誰も気付かない。多分自分にしか聞こえない声。
 そう言えば、検査が終わって家族と会ってから、少女はずっと黙っていた。彰吾も、色々と医者に言われるのが嫌で意図的に無視していた。無視していた事でブー垂れて歩き回っていてコードに絡まった時は流石に声を上げたが。
 そう言えば、こいつの名前、何だっけ。
 彰吾は不自然で無い程度に後ろを振り返った。気付いた少女は明るい表情を浮かべる。
『なになに? どうしたの?』
「あ、別に」
「どうしたの? 彰吾」
「な、何でもない! 何でも! 亜紀が気にするような事は何にも!」
 亜紀の声で、遂答えてしまっている事に気付いた彰吾はうろたえた。並べた科白は只々不審。
「? ま、いいけど。まだ調子悪いとかそう言うんだったら」
「だ、大丈夫! 至って健康! …寧ろさ、昨日の昼から何も食べて無いからお腹減っちゃって」
「あら、だったら今日のお昼は腕を振るわなくっちゃね」
「あ、ああ。頼むよ母さん」
 だからと言ってどう不審かと聞かれても困るので、その程度にしか捉えなかった。
 先生にお辞儀をして病院を出る玄関への廊下を歩くと、一組の家族と、一人の青年が立っていた。
 青年が廊下にも拘らず走って近寄る。
「ごめん! 秋原君! 僕の不注意で君を轢いてしまって」
「え? あ…」
 いきなり深々と頭を下げられた。答えは一つなのだろうが、唐突に答えを上げよと言われても正直難しく、困惑が先に来る。
『その人が、彰吾を轢いちゃった人だよ』
 家族の声より何より先に解を与えたのは、あの少女の声だった。
「次からは、じゃなくて、今から、気をつけてくださいね」
「うん、分かってる」
 会話は短い。でも、それ以上に会話をする必要も無かった。少なくとも、彰吾は。
 今度頭を下げたのは、一組の家族だった。その中には、あの時の子供も居た。
「ありがとう、彰吾君。息子を助けてくれて」
 子供の父親が礼を言い、次に母親が礼を言う。
「そんな、当然の事をしただけですから」
 自分より一回りは年嵩の二人に礼を言われて、彰吾は有体の返答を返した。
「ほら、達治も」
 父親に言われて、達治と呼ばれた子供が手の届く様な位置まで来て、
「お兄ちゃんありがとう!」
 子供特有の満面の笑みで、どんな褒め言葉より嬉しい一言を言ってくれた。
 彰吾は少し向こうの両親に無礼かなと思ったが、達治の頭に手を置き
「二度と信号無視なんてするなよ」
 元気良く頷いたのが口約束では無い信じさせる気にさせてくれた。


 その後、病院を出、車に乗り込もうとして彰吾は気になって後ろを見た。
 少女はまだ居る。でもこれからどうすると言うのだろう。車に乗り込むのだろうか。
 けれどその気配は無い。
『だいじょぶだいじょぶ、直ぐ追い付くから』
 無言の返答に、彰吾は、いや、来なくていい、という意味を込めて少女の眼を見た。漫画やアニメでしか無いような蒼い瞳に自分の姿が映っていた。真っ直ぐ見詰め返されている。気恥ずかしくなって眼を逸らした。
「彰吾、早く乗りなさいよ」
 後部座席に既に乗り込んでいる亜紀が急かす。
「ああ。悪い」
 開いていたドアから乗り込み、小さな音を立ててドアが閉まる。
 ゆっくりとエンジンが掛けられ、車は発進した。少女の姿を遠く置いて。


 一家団欒の、遅い朝食は彰吾だけがボリュームが多かった。
 亜紀と母親の沙希が大急ぎで作ってくれた食卓だ。お陰でおおよそ、日本の朝食とは掛け離れたパスタと鶏野菜の炒めになってしまったが、今の彰吾にはそのメニューが有り難かった。
「ホントに全部食べたよこいつ」
 少し呆れた亜紀の声が掛かる。彰吾はコップ一杯の水を半分ほど飲み、
「残したら勿体無いだろ」
「そしたら昼に幾らか回すに決まってるでしょ」
「それもそうか。でも、腹減ってたし」
「空腹でもなくてあの勢いで食べられるなら、あんたはとっくにその体型を維持出来て無いわね」
 彰吾の体格は身長も体重も平均的だ。普段からあの量を食べていたら太る。そうなれば両親は兎も角、姉という、両親の様な無条件愛を与える位置ではない亜紀には嫌われていただろう。
「ま、これだけ食べられるんならショックとかそういうのも無さそうね」
「ああ。至って快調だよ」
 彰吾は残りの水を飲んで、器を食器と共に流しに片す。
「じゃ、部屋に居るから」
「おお、分かった」
 返事をした食卓で新聞を読んでいる英吾も
「じゃあ、私も居間に居るから」
 と席を立った。流しは広くないので、二人が入るのが限界だ。決して洗物から逃げた訳ではない、多分。


 バタッと、彰吾はベッドに倒れ込んだ。
 病院の物とは違う感触。帰って来たんだと実感させられる。こう柔らかくてサラサラとして、
『うに?』
 そう、うに、とか鳴いて……
「え?」
 布団越しに感じる何かの柔らかさ。布団のずれた隙間から見える、蒼い髪の毛。入ってきた時は虚脱感で気付かなかったが、不自然に隆起している布団。
 彰吾は布団の頭の両端を掴むと、恐る恐る、しかし勢い良く引っぺがした。
 寝ている。蒼い女の子が。くーくーと寝息を立てて。
「何してんだお前!」
 自分以外には見えない事など忘れて大声を上げた。少女が五月蝿そうに身をよじる。
 彰吾は手で耳を引っ張りながら、
「起きろ」
『う~』
 厭々の呻き声を上げる。
「う~じゃない。もう話でも何でも聞いてやるから、起きろ」
『う~ん…後五分……』
「昔のドリフか!」
『う~分かったよう…分かったから耳放して~』
「え?」
 ここに来て、無意識に伸びていた手に気付いた。これが同性や、異性でも家族なら特に気兼ねはしない。しかし、相手は普通では無いとは言え女の子だ。
「わ、悪い!」
 慌てて手を引っ込める。少女はまだ眠たそうな動作で起き上がって耳を擦り、
『まあ、痛くなかったけど。寝てたわたしも悪いし』
 意外に文句も捏ねない。
「何で寝てたんだよ」
『昨日あんまり寝れなかったんだもん』
 口調が大分シャキッとしてきた。もしかして昨日追い出した自分の所為だろうか、と彰吾は思ったが、あれに関して自分に非は無いと思う。妙に捻子繰り返す事も無いだろう。
『ところで、話、聞いてくれる気になったんだね?』
 少女はにっこりと、寝惚け眼から脱却して座った上体で身を乗り出してくる。
 今朝は結局黙ってろ、というか、無視の一点張りで聞いてなかった。
「ああ、まあ」
 人並に興味を持つ年頃。こんなに顔を寄せられると少し照れるが、眼の前の少女が人間では無いと言い聞かせて、動悸を治めて頷いた。
『じゃあ、ちょっと長くなるかもしれないけど、説明するよ』
「出来れば短い方が―――」
「彰吾。さっき声が聞こえたが、どうかしたのか?」
 彰吾が言い掛けた所で、ドア越しに父の声が聞こえた。五十前にしては、よく通る声だ。
 反射的に、人間なら止まれを意味するような姿勢で手を出す。父には聞こえないので意味の無い行為だが、実際、声を出されて穏便に済ませられる余裕は彰吾には無い。
「あ、ああ。何でもない。ちょっと昔の漫画を読み返したてたら、遂、台詞をさ」
 やや間抜けだが、言い訳としては及第点だろう嘘。
「そうか、ならいいんだが」
 答えてから、父が階段を降りる音まで聞いて、彰吾はやっと手を下ろして胸を撫で下ろした。
「すっごい慌ててるね~」
「誰の所為だ!!」
「?」
 出来る限り声を抑えて怒鳴る彰吾に、能天気にも?マークを浮かべる少女。素なのか、態となのか。彰吾ははぁと溜息を吐いた。
「もういい…それよりさっさと話、始めてくれ」
『うん。昨日も言ったけど、わたしは君の命をあの世にちゃんと送る為に来たんだ。そういう存在は、君達の世界でもちゃんと語られてるよね。呼び方は同じだよ。死神。ザ・ゴッド・オブ・デス』
「……」
 少女から出た名詞。それは人間が忌避するもの。実在するのなら、彰吾の兄、誠二の命を奪った存在。通常、憎しみをぶつけたくなるものなのかもしれないが…
 大きな帽子に服装は蒼で統一され服はジャンパースカート。手には鎌でなくロッド。おまけに見た目の年齢、彰吾と同じかそれ以下。
「――悪い。見えない」
 寧ろ魔女っ娘だろう。小中生の女の子向け雑誌で連載され、大きなお友達がグッズを集めまくる様な。
『当然だよ。だって君たちのは只のイメージだもん。凝り固まった先入観が…って、この辺はいいね。兎に角本当は死神だって文化があって、ちゃんと生活してるんだよ』
 確かに、実在するのならそうかもしれない。
『それに鎌なんて物騒な物必要ないもの。わたし達は只魂を運ぶだけだもん。たまに自爆霊(強情な人)もいるみたいだけど』
 説明は言葉だけだが、仮に眼の前に居る少女が鎌を持っても似合わないだろう。想像してみた。アンバランスにも程がある。他の死神も、少女の口振りでは、人間とそう変わらない様な感じだ。あんな大鎌、似合う奴の方が少ないんじゃないだろうか。
「で、昨日の口振りだと俺を殺しに来たのか?」
『へ?』
 少女は眼を丸くした、驚きの表情。
「へっ? て、そういう仕事じゃないのか? 死神って」
『あーあーあー。違うよ。だから、それは君達の思考におけるマイナスイメージの死神なんだよ。本当の死神って言うのは、死んだ人の魂をちゃんと魂界に送ってあげる役割なんだよ』
 殺して運ぶのではなく、死んだ人間の道案内。人を無理矢理殺すのは、死神とはいえ大罪だ。生きている人間には、殺しているように考えられるだろうが。
『でも、死ぬって分かってるのに助けないのは同じ事かもしれないけど』
 彼女は変わらない声音で、言わなくてもいい事まで言う。けれど、彰吾は逆にそこに好感が持てた。言いたくない事まで、或いはそういう意識自体ないのかも知れないが、しっかり語る。これは中々出来る事ではない。
「そっか。誤解してたのは悪かった。けどさ、えっと、昨日死ぬ筈だった、みたいな事言ってたよな?」
『うん! だからお願いしてるんだよ』
 少女の、無邪気な、何も考えて無いような言葉に、彰吾は充分に言葉を溜めて、
「それってさ、自殺しろ、って事?」
『………』
 少女の表情が固まる。考えが至ってなかったらしい。
「はぁ…」
『だ、大丈夫!』
 彰吾が顔を横に向けて吐いた溜息を合図にした様に、少女が再起動した。
『ディイス様の予言はわたし達が意図的に邪魔しない限り外れないし、だから、きっと昨日のは最初から考えられていた事で、この近日中に何か起こる筈だよ!』
「全然大丈夫じゃない。俺はまだ死にたくないんだっての」
『あぅ、それは、そうだろうけど…』
 しょんぼりと縮こまる少女。言葉は少女のものの方が酷いのに、何だかこっちが虐めている気分だ。女の子とこれだけ長く話したのも久し振りなのに(彼女は人間では無いが、女の子には変わり無い)そんな顔をされると気分が悪い。
『あ、ごめんね。わたしがいると、落ち着けないよね。君の眼に付かない様にするから、安心して。もし死んじゃった時も、ちゃんと案内するから』
 カラッと表情を笑顔に変えて、窓から外に出て行こうとする少女の腕を、彰吾は掴んだ。
『なに? どうしたの?』
「あのな。遠くから見られてる方が気持ち悪いんだよ」
 言いながら、彰吾は自嘲した。俺は馬鹿だと。
『ごめ…』
「大体、雨でも降ってる時は想像するだけで嫌じゃないか。全くの赤の他人ならまだしも、顔も名前まで知ってるんだから」
『え?』
 そう、彰吾は少女の、昨日一度だけ聞かされた名前を、思い出していた。
「どうせ見られてるんだったら、こっちの眼も届くところの方がまだマシだ。俺の部屋だろうと傍だろうと、好きに居てくれ。勿論、死んでいいって訳じゃないけどさ。どうせだったら、な、ノウン」
『―――うん! よろしくお願いね! 彰吾』
 彰吾にも、ノウンの乾いた笑いが、本当にパァっと、太陽の様に明るく変わったのが分かった。何か変な感じだけど、これでよかったのだと、そう思った。
 ここに運ぶ者と運ばれる者の、奇妙な同居が完成した。


 先刻、ノウンの監視(?)を許可した彰吾は、何処にも行かず部屋で宿題をしていた。中学にもなると宿題は逆に少なくなるものだが、宿題好きな教師は何処にでも居るものだ。
 カリカリと、シャーペンが紙面を擦る音が、付けっ放しになっているテレビの音に交ざって聞こえる。日曜日の昼間、バラエティ関係のようだった。時折、ノウンの笑い声も混ざったりするが、五月蝿くはなかった。元々、静か過ぎる場所での勉強はしない方だ。テレビは付けっ放し、場合によっては音楽も。それが彰吾の自宅学習のスタイルである。
『ねえ、彰吾~』
「何?」
 理科の学習ノートから顔を上げてノウンを見る。勉強机ではなく、部屋の中央にある、冬場は炬燵に早変わりの背の低い机でテレビを正面にやっていたので、テレビを見ていたノウンは右斜め前に居た。
『あそこにある、漫画、読んでもいいかな?』
「ああ、いいよ。確かお前が持ってたら、消えてる様に見えるんだっけ?」
『そうする事も出来るってだけだけどね』
「ま、浮いてる様に見えない様にするんなら、読んでもいいぞ」
『うん! ありがと!』
 ノウンはロッドをカーペットの上に置いて、意気揚々と本棚を物色し始める。
『ど~れ~に~し~よ~う~か~な~?』
 本当に嬉しそうに。本を選んでいる。死神の居る世界には本は無いのだろうか?
 それとも、人間の描く(書く)本は、やはり珍しいのだろうか?
『ん。これに決ーっめたっ、と』
 中段程度のところから、本を一冊引き抜いた。その本は、少年誌で連載されている、身長差のハンデを持った直向な主人公が頑張るサッカー漫画だった。絵柄から、男だけでなく、女性読者も多い。地味だが、しっかりと段階を踏んでいて、やりすぎの感が有るスポーツ漫画が多い中では目立たないものの、一番リアルな漫画だと思う。アニメはイマイチだったが、サッカー漫画では彰吾の一番好きな漫画だった。
 好きな漫画を読まれていると思うと気になるが、取り敢えず感想は宿題を終わらせてから聞く事にした。


「…終わった」
 既に幾らか進めていた事もあって、一時間も掛からずに宿題は終了した。
『あ、終わったんだ。結構早かったね』
 ノウンは三巻目に入っていた漫画に指を挟んで、彰吾に笑み掛けた。
「そうでもないさ。で、漫画、どうだった? 面白いか?」
『うん! キャラが頑張ってるのが伝わってくるって言うか、兎に角面白いよ! 特に、この一風って主人公がいいよね』
「ああ。主人公はカッコイイ二枚目の友人やライバルキャラに人気投票で一位を浚われる事も多いけど、そいつはずっと一位だしな。やっぱり、こういう地道な努力は見てて応援したくなるんだろうな」
『うん! そうだよね!』
 何和んでるんだろうと思える程に漫画で会話が弾んでいると、コンコンとドアがノックされた。
 ノックした人物はドア越しに、
「彰吾、ガレット焼いたから、おやつにでもどう?」
「分かった」
 亜紀の誘いに、彰吾は即了解。
「父さんも母さんももう下りてるからちゃんと来なさいよ」
「ん」
 座っていた姿勢から立とうとして、彰吾はノウンの事を思い出した。ノウンは当然、食べられない。
『お姉さん、ガレット焼いたりするんだ。凄いな~』
 別に気にしていないように、亜紀に感心していた。
「亜紀は、パティシエ目指してるからな」
『ぱてぃしえ?』
「乱暴に言うと、お菓子屋って事」
『そうなんだ。わたしもお菓子好きだよ。魂世界のも、こっちのも』
 しまった、話題がやはりこうなるか。
 けれど、食べてみたい、とは、ノウンは言わなかった。勝手気ままな様で、我侭ではないらしい。が、欲しそうにしているのは隠せていない。
「何個か持って来てやるよ」
『ホントッ!?』
 身体全体で前に出て、嬉しさが溢れた声。凄い喜びようである。
「ああ、だから、大人しくしてろよ。摘み食いとか、絶対したら駄目だからな」
『うんっ! あ、でも、一緒に下りるぐらいはいい?』
「…まあ、それぐらいなら」
『やった。じゃあ、早く行こう!』
 腕を引っ張られて、ドアへと向かわされる。誰かが居たら、彰吾が一人で踏鞴を踏んでいる様に見えないだろうが。

 彰吾とノウンが下りた時には、もうカップにお茶まで淹れられていた。
 クッキーは真ん中の更に置かれ、席に置かれた皿に取り分けるようにされている。
「たく、遅いわよ。紅茶が冷めちゃうじゃない」
「ごめんごめん。でも、メインはガレットな訳だし」
「だからって紅茶を蔑ろにしていいわけじゃないでしょ。ま、いいわ。それより早く食べてみてよ。お父さんも、ほら」
 一つ二つと皿に取って食べる。相変わらず美味い。それは父の英吾も同じで。
「やっぱり美味しいな。それにこの紅茶によく合う」
 等とべた褒めしていた。毎回だが、無論社交辞令ではなく、本当に美味しい。
 子供の頃とはえらい違いだ。子供の頃はあんなに粉っぽかったのに。あれはクッキーだったが。彰吾は無理矢理食べさせられて顔を顰めていたものだ。父も母も、今は居ない、兄の誠二も。子供の頃から父さんは褒めていた、彰吾は不満ばかり、誠二は、母さんと一緒に亜紀のお菓子作りを手伝ったりしていたっけ。誠二は今のこのガレットを始め、お菓子の味を知らない。食べれば、きっと吃驚するだろう。
 如何してだろうか? 普段はこんな事考えないのに、今はひどく残念に思う。
「ん、俺はクッキーの方が好きだけど、ガレットもしっとりしてイケルね」
 言いつつ、片手でこっそり幾つかをポケットに仕舞った。
 ノウンが所帯無さそうに、うろうろと歩いている。団欒は、見ているだけであたたかいという人間もいる。だが、見ているだけのノウンは彰吾には孤独に見えた。しかし、それは居心地が悪い、という感情として湧き上がっていて、彰吾自身は気が付かなかった。


 パクッと、ガレットを齧るノウン。
 彰吾は漫画を片手に持って、その表情を横目で窺う。
『美味し~』
 もうふんわり緩み切った至福の表情で、歓声を上げた。見せられるものなら、亜紀に見せてあげたい程の蕩け具合だ。こんな顔をされれば本望だろう。
 確保した物の他に、幾らかの余りを引き受けてきた彰吾は、袋から一つ摘み出す。
「甘い…」
 少し甘すぎる気がして、直ぐに思い当たった。お供え用のものが混ざっていたらしい。
 誠二は男の癖に甘党だったから。
「そう言えばさ」
 ふと、思いついた突拍子も無いこと。
『なに?』
 美味しそうにガレットを頬張っているノウンの気持ちに水を差す事になるかもしれないが、一度考えると聞いてみるしかなかった。
「そっちにさ、誠二、って奴、来なかった? 俺の兄貴なんだけど」
 ノウンはガレットの端を齧った状態で、考え込んでいる様だった。記憶を辿って、心当たりを探す努力をしてくれているのだと、彰吾は思った。十秒程間を空けて、
『ごめん、分かんない。名前も、聞いたこと無い』
「そっか。いや、いいんだ。ちょっと思いついただけだから」
 そう、死神なんて来れば、誰だって考える質問。答えだって期待していなかった。
 なのにノウンの奴は、何だか申し訳無さそうにしていた。
「それよりほら、こっちも食ってみろよ。チョコチップが、結構美味いぞ」
『うん!』
 何だろうか。フォローなんて、多分する事は無いだろうに。居心地が悪いだけじゃない。それではフォローに繋がらない。自然に言葉が出た。
 ああそうか。考えれば結構答えはあっさりしている。家族の中で一番年下の俺には、こいつが無意味に明るくて素直な妹みたいな感覚なんだろう。
 朝は毛嫌いしてたのに、一日も経っていないのに反転していて恥ずかしいけど、多分そうなんだろう。






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