『彰吾ー、朝だよ、起きよう!』
 朝っぱらから、彰吾は少女の明るい声で眼を覚ました。朝、ノウンに起こされるのは何気に初だったりする。
「何で土曜なのに、こんな早い時間に起こされるんだ?」
 額を押さえながら、渋々といった感じで上体を起こす。本日、友人との遊びまで断った彰吾は、ここの所の睡眠を取り返す位に惰眠を貪りたかったのに。
 結局、起きたのはいつもより少し遅いだけの時間だった。
「彰吾、沙希と亜紀が、朝ご飯を作ってくれたぞ。私も起こされたんだから、お前も起きなさい」
 ドア越しの父の声。何れにせよ、起こされていたか。英吾は沙希か亜紀かに言われて来たのだろうが、仮に来なくても二人のどちらかが来ていた筈だ。
「分かった。でも、今起きたところだから、先に食べてて」
「そうか。慌てず、ゆっくり来なさい。食事は逃げないからな」
「うん」
 英吾が遠ざかって行く足音が僅かに聞こえる。
 ノウンのいる状態での会話、実に慣れたものである。
 ノウンが来てから、今日で一週間。近い内死ぬ予定の彰吾だが、未だ死ぬ予兆は無し。
「ほら、着替えるから、出ててくれ」
『うん』
 素直に頷いて部屋を出るノウン。何かこの間から様子がおかしい気がする。
 木曜日と金曜日、寝る前に顔を紅くし、それが普通の反応だから、やっと分かったかと彰吾が床で寝ようかと提案すれば、今度はヤダヤダと頬を染めつつ駄々を捏ねる始末。
 就寝の際の密着度が以前より減ったのは、寝やすくなったと喜ぶべきなのか、残念と思うべきなのか。
「半々、か」
 無駄な思考をしている間に、パジャマからカーボンパンツとカラーシャツに着替え終わった。
 パタと、ドアを開けると、ノウンはそこに待っていた。
「飯、食いに行かなかったのか?」
『うん。あのさ、その事でね、彰吾にお願いがあるんだけど』
 ノウンが彰吾への希望を、切実な思いで唇に乗せた。

「彰吾、下りて来たか。皆待ってたんだぞ。さあ、早く食べよう」
「ああ…ごめん、父さん。母さんも、亜紀も。ちょっと俺、今から出かけるから、朝飯と、昼飯も要らないや。…もしかしたら、夜も」
「は?」
 この発言には、英吾だけでなく、亜紀も沙希も唖然とした。
「じゃ、そういう事で!」
「ちょっ、待ちなさいよ、彰吾!?」
 亜紀が一番に止めるが、時遅く、彰吾は靴を履いて家を飛び出ていた。

「ふぅ…言い訳が面倒そうだ」
 彰吾は四、五分走って追っ手がいないのを確認すると、歩調に直し、上手い言い訳を思いつかなかった自分を嫌悪した。
『しょっうごっとごっはん♪ しょっうごっとごっはん♪』
 全てはこの、前ではしゃいでいる傍迷惑な死神の所為である。ノウンの言ったお願いとは、一緒にご飯が食べたい、という内容であった。更には、どうせならそのまま遊びたい、という。
 彰吾は即座に、無理だと言った。それも当然、ノウンは彰吾にしか見えないのだから。しかし、彰吾の次に言った一言が失着であった。
「お前が他の奴にも見える様になるんだったら、話は別だけどな」
 多少傷つけるかと思ったが、返答は考えもしないものであった。
『出来るよ、見えるように』
 この後はもう、駄々を捏ねられて彰吾の負けだ。どうしようもない。
「で、今はもう見えるようになってるのか?それともまだ見えないのか?」
 間抜けな歌を遮る為に、彰吾は不機嫌に言った。
『あ、忘れてた。今、見えるようにするね』
「あ、おい待てっ」
 ノウンの行動を、あわやと言う所で制止する。
『どしたの?』
「いや、人がいないかちゃんと確認してからの方がいいだろ」
 全くの正論に、ノウンはそれ以上の正論を返した。
『確認したから、見えるようにしようとしたんだよ?』
 ご尤も。彰吾の負けである。
 今度こそ、ノウンが行動に移る。一体どうするのかと内心わくわくしていた彰吾だが、それはあっさり終わった。
「はい。もう普通に話せるよ」
「…え? 見たとこ、何も変わって無いように見えるんだけど」
「ホントだよ。嘘吐いてもしょうがないでしょ?」
 また、正論。
「まあ、そうだけど」
 期待を裏切られた思いで、彰吾はイマイチ納得できなかったが、本人が言うのならそうなのだろう。
「ね、ね、そんな事より、何食べる?」
「寧ろこういうのは、店が大事だと思うぞ」
「お店?」
 ノウンの頭上に疑問符が浮かんでいるのが見えた気がした。
「喫茶店とかに入るんじゃなかったのか? 俺はそう思って出てきたんだが」
「ホント!?」
 彰吾はノウンの過剰な反応に少々後退りながら「あ、ああ」と頷いた。
「やった! わたし、そういうお店入ってみたかったんだ」
 彰吾が提案しなければコンビニにでも入るつもりだたのだろうか? 
「おっみっせでごっはん♪ しょっうごっとごっはん♪」
 兎に角、さっきにも況してノウンが喜びだした。
「取り敢えずその歌はやめてくれ、恥ずかしい」
「うん。そうだね。折角彰吾と普通に話せるんだから、そっちの方がいいよね!」
 そんな風に話しながら、アーケードの出たのだが、何だか彰吾は奇異な眼で見られている気がしてならなかった。否、気がするでは無い。間違い無く見られている。擦れ違い様にチラチラ遠巻きにチラチラ。何故だろう。まさか、ノウンの見えるように出来ると言うのは嘘だったのだろうか。一人でブツブツ喋っている危ない人だと思われているのだろうか?
「なあ、ノ…」
 会話を遮って、今一度訊ねたみようと声を上げ掛けたが、答えは意外なところから聞こえてきた。
「あれって、コスプレ? 街中でやるなんて度胸あるー」
 高校生風の女性が言った言葉で、やっと彰吾は状態を把握する事に成功した。
「でね、彰吾。彰吾はご飯食べた後何しようとおもってるの? 何も考えて無いならわたし、映画とか遊園地とか行ってみたい!」
「喫茶店に入る前にやる事が出来た」
 ガシッと、カンゴール越しにノウンの頭を掴む。
「いたっ、彰吾痛い、痛いよっ」
「喧しい」
 彰吾は聞く耳持たず、掴んだまま引き摺りだした。
「分かった。分かったから。静かにするから頭はやめて~~っ」
 悲鳴も当然、無視だった。

「雄太。悪いな、朝っぱらから起こして」
 まだ何処も開いていないような時間にブティックの息子である安永雄太に携帯で連絡して、早開けしてもらったのである。友人の特権をフルに活かしている。
「いや、それはまあいいけど…」
「お前が何を言いたいのかは、痛いほど分かる。後で聞く。後で聞くから、何も言わず服を選ばせてくれ」
「あ、ああ」
 鬱オーラが出ている彰吾に、雄太は何も言えなかった。店主である、雄太の父も、母も。
「彰吾、服屋さんに来て、服でも買うの?」
「お前が言うか、お前がっ」
 まだ、ノウンは分かっていないらしい。
「お前のその格好がおかしいから買いに来たんだろうがっ!」
 はっきり、ストレートど真ん中に伝える彰吾。
「彰吾、人の趣味の問題なんだから、そこまで言わなくても」
 傍から見ているギャラリーからしても、余りに言い過ぎである。
「この格好、変かな」
「変だ! 最近麻痺してたけど、変だっ!」
「気に入ってるのに」
「気に入っててもだ! んなんで街中歩けるかっ」
「彰吾、お前って怒ると結構容赦ないのな」
 雄太は少女の服装だけでなく、激昂している友人相手に対しても引き気味だ。
「兎に角、今から上下服を揃えてやるから、黙って買ってもらえ」
 口論になり掛かっている状態で、彰吾の口から出た言葉に、ノウンは驚きの表情で彰吾を見上げた。
「ホント? ホントに彰吾が買ってくれるの?」
「しょうがないだろ、ったく」
 終わりとばかりにそっぽを向いて、女性もののコーナーに歩き出した。
「あ、待ってよ彰吾」
 ノウンは駆け足で、彰吾の背中を追った。安永親子は、唖然と見送り、やがて先の少女のよく通る明るい声がわいわいと聞こえだした頃、父が雄太に尋ねた。
「…あの子は、彰吾君の彼女が何かかい?」
「さ、さあ」
「でも、偏見を入れても、可愛かったわね」
 母の一言は、ズバリその通りであり、彰吾がノウンに始めて逢った時に抱いた感想と同じものであった。

「彰吾、これなんかどうかな?」
 そう言ってノウンが出して来たのは、ドレス系だった。
「似合わない」
 彰吾は一言で切った。一着でいいから値段が安くて済みそうなものだが、似合わない物に金を出すほど彰吾の財布の紐は緩くは無い。ちなみに、彰吾の財布は紐では無い。
「えっと、雄太。取り敢えずこれとこれとこれ、試着させるぞ」
 勢いに押されて頷く雄太を確認して、彰吾は手に持ったそれをノウンに押し付ける。
「そこ、試着室だから、皺にならない様に気を付けて着てみろ」
「うん。わかった」
 自分も服を選んでいた癖に、あっさり彰吾の渡した服を持って、試着室に入って行った。
「ふぅ…ったく、俺が小遣い使い切りタイプや貯金型の人間じゃなかったからよかったようなものの」
 毒吐きながら壁に背を凭れさせる。そこに、雄太がやって来た。
「彰吾、あの子と仲いいみたいだったけど、彼女かなんかか?」
 さて問題だ。背に腹は代えられなかったとはいえ、この質問の回避は最重要事項である。この返答次第では、色々問題になり兼ねない。
「彼女か…そう思ってくれていい」
 一番無難なのは、結局、これだろう。下手に隠せば墓穴だ。この行動だって、友達よりは彼女の方が信憑性が高い。
「何で言わなかったんだよ。いつ知り合ったんだ?」
 男でも、こういう話はいいネタになる。興味津々という感じで尋ねる雄太の質問を、彰吾はのらりくらりと避わし続けた。否が応にも、避けるのが上手くなろうというものだ。
「彰吾、着替えてみたよ」
 言って出て来たノウンの服装は、カットの良い空色のブリーツスカート、生塗り色した薄手のセーターに、茜色のシースルーカーディガンといったものだった。帽子とケープはそのままだったが、コスプレには見えない、本来のアクセサリーとして存在していた。
 見違える。いや、さっきのもあれはあれで似合っていたが、公共の場で広く受け入れられるのはこっちだろう。
「お前、結構センスいいよな」
「褒めの方か?」
「褒めの方だ」
「どう、彰吾、似合ってるかな?」
 会話に割って彰吾の意見を求めるノウン。
「ああ。買うだけの価値はあると思う」
 唯惜しむらくは―――元の服の方が似合っていた事か。
 決して、彰吾は言わないし、雄太達もツッコむべき所では無い事は分かっている。
「小父さん、精算頼みます。後、これ着たままにするんで、値札のカットも」
「ああ、分かった」
「あ、後、袋もお願いします。…大きなので頼みます。アレ、入れなきゃ駄目なんで」
 指差したアレは、ノウンがまだ手に持っているロッドだ。
「…ああ」
 小父さんも、悟った様に頷いた。


 ブティック安永を出ると、さっきの奇異な視線は収まっていた。やはり、ノウンの格好からだったらしい。
「さて、そろそろ本題の朝飯を食わないとな。ノウン、この辺の店とか知ってるか? 知らないなら、俺の知ってるところに入るけど」
「う~ん…よくわかんないから、彰吾に任せるよ」
「そうか、じゃあ、家庭料理店、ポルノワかな」
 彰吾の選んだ店は、一般的な大衆向けレストランを、更に親しみ易くした、言うなら喫茶店の様な外観をしていた。
木造作りのドアを開けると、来店を告げるベルの音がカラカランと鳴った。
 朝早くは開いている料理店自体が少ないのに、疎らとはいえ既に客が何人か居た。それでも、満席には程遠いので、彰吾は二人はテーブルに着く事が出来た。
「おい…」
「なに? 彰吾」
 彰吾がクッションに座って、声を発した返答は直ぐ隣から聞こえた。
「普通こういう時は対面に座るものだと思うぞ」
「そうなの?」
「多分」
 言われて、ノウンは改めて反対側に座り直す。
「そっちにはこういう店は無かったのか?」
「あったけど…一緒に食べに来た時の席なんて、気にしたこと無かったから」
「大人数位でしか食べに来た事無かったのか?」
「う~ん…あ、スティルと食べた事はあったけど、その時はちゃんと向かいに座ってたよ」
 誰? 全く知りもしない死神の名前をピンポイントで出されても、彰吾に分かる筈も無い。分かる筈も無いのに、何だかムカついた。
 ―――何に?
「まあいいや。それより、メニュー見て注文決めろよ」
「彰吾は?」
「俺は何度か家族で来た事があるから、何頼むかはもう決めてる」
 言って数秒後、大学生風のウェイトレスさんがやって来た。
「ご注文はお決まりですか?」
「あ、はい。ベーコンピラフと…」
 チラとノウンを見る。
「えっとね。チョコレートパフェと、苺ショートと、手作りクッキーの詰め合わせと…」
「待て」
「なに?」
「別に何頼もうと金銭面からはみ出さない限り文句は無いが、それを朝食にする気か」
「ヘンかな?」
 本気か? 本気で訊ねているのか?
「冗談だけどね」
「…おい」
「あはは。じゃあえっと、わたしはこの海鮮パスタで。あ、でもやっぱり、デザートに苺ショート、食べたいな」
「……もう別に何でもいいぞ。食いたきゃ食え」
「ではご注文、ベーコンピラフと海鮮パスタ、苺ショートで宜しいですね?」
「はい!」
 投げ遣りになる彰吾を余所に、アルバイトとは思えない正確な対応をするウェイトレスさんと、ノウンとの注文の確認が交わされた。
 約五分後、ベーコンピラフと海鮮パスタが運ばれて来た。苺ショートは、食べ終わる時間を考えてのお送りだ。
スプーンとフォークと別々の食器で、料理を食べ始める。
「美味しいね、彰吾」
「まあな。というか、美味くなかったら連れて来ねえよ」
「あはは、そうだね。わたし、こっちでこういう料理食べるの、初めてなんだ。彰吾の好きなお店で食べられたから、きっと余計に美味しいんだよ」
 無邪気な言葉に照れるよりも、彰吾はノウンの学校での食事を思い出していた。食べていたのはおにぎりや菓子パンばかり。コンビニ弁当すら食べているところを見た事は無かった。夜は知らないが、同じだったのだろうか。何れにせよ、コンビニ弁当止まりだろう。
「もっと早く言えばよかったんだよ」
「え?」
「そしたら、そうだな。こういう店は無理でも、その辺でケーキやアイス位なら買ってやったのに」
 彰吾は炒められたご飯にスプーンを伸ばす。
「じゃあこれからは、お願いするかもしれないよ? いいの?」
「ああ」
 まるで気にしてないという風に、掬ったピラフを口に持っていく。「ありがとう」と言うノウンの声だけで、ノウンの表情が分かった気がした。
「お待たせしました。デザートの苺ショートです」
 食事を終えた絶妙のタイミングで、最後の注文品が持ってこられた。
「わぁ♪」
 デザートに出されたケーキを、冗談でも最初にあれだけデザート品名を並べただけの事はある充実した笑顔で食べるノウンを見て、本当に甘い物が好きなんだなと、彰吾はお冷をゆっくりと含みながら、眺めて食べるのを待とうとしていた。
「彰吾、彰吾も食べない?」
「は?」
 コップを口に付ける寸前、疑問詞を上げる。
 ノウンはフォークに一口切り取ると、テーブル越しに小さい身体を乗り出して
「はい、あーん」
「いつの時代のバカップルだ」
 現代でしている人間がいないとは言い切れないが、彰吾の中では過去の産物らしい。しかし、バカップルという言葉も大概遺物だ。
「う~一度やってみたかったのに~」
「幾ら頼まれても、んな事出来るか」
 にべも無く、彰吾は断った。はむっと、フォークに取ったケーキを口に運ぶノウン。
「美味しいよ?」
「要らない」
 こんなやり取りが、ケーキが無くなるまで続いた。


 右往左往もあったが、朝食を取り終えたのは九時半を回った辺りだった。
「これからどうするか…」
 まさか家には帰れまい。元々それは考えていない。家族の詰問を先延ばしするだけだが、それは無しだ。
「彰吾、行くとこないんだったら遊園地とか映画館とか―――」
「どっちも嫌だ。遊園地は嫌いだし、観たい映画も無い」
 言い切る前に、先を取られた。
「彰吾ー冷めてるよー」
「そんなもんだよ、大体」
 衝動で一本映画を観る程の映画好きではないし、遊園地はあの雰囲気が意味無く嫌いだ。
「大体俺の財布を充てにしすぎだ。お前、金持って無いだろうが」
 幾ら彰吾が比較的節約しても、余り通帳に貯金するタイプの人間でないにしても、したくも無い事に金銭を注ぎ込みたく無い。第一、既にノウンの服を買って充分すぎる出費をしているのだから。
 「ううっ」と、痛いところを衝かれたノウン。本来、これ位は頭が回る彼女なのに、今日は迂闊、というか、我侭、というか、何れにせよ荒唐無稽な感じだ。
「まあ、金を使わない範囲でなら付き合うよ」
 ポンと自分より頭一つ小柄な少女の大きな帽子を叩いた。彰吾は右手に持ったノウンの服やロッドの入った袋を揺らして歩く。
「で、差し当たってどうする? どうせやる事も無いから、今言った条件でお前にしたい事があれば従うぞ」
「えっと…じゃあ、買い物がしたい!」
 ノウンの提案に、彰吾は呆れた。
「お前なあ、買い物って、金を使わないって言うのが条件…」
「いいの! 見て回るだけだから!」
「見て回るだけ?」
「うん!」
 相変わらず変な事をしたがる。しかも、只のウィンドウショッピングを嬉しそうに。
「まあ、いいか。分かった。気が済むまで引きずり回してくれ」
 彰吾は何だか拍子抜けしたが、それでいいなら越した事は無い。二つ返事で承諾した。


 しかし甘かった。読みが甘かった。
 この辺のお店全てに入って行くノウンに付いて行くには、移動だけでも結構な距離だった。文明の利器が懐かしい。
 そして嘗めていた。ノウンの体力と好奇心を。一々返答するだけでも頭が馬鹿になりそうだ。
「ちょっ、と、もう、勘弁…一息、入れさせて…」
 買い物を始めて、二時間でギブアップした。
「付き合ってくれるんじゃなかったの?」
 嫌味でなく、不満と残念が入り混じった声音が降る。
「午後、から…また、付き合う、って」
 この息の乱し様は演技でもなければ彼の体力が劣っている訳でもない。唯単に、長時間の買い物に慣れていないことが疲労の決定打になった。
 ノウンは彰吾の言葉に納得して、休めそうな場所を考える。お店のウィンドウ越しに、スポットは誂えた様に存在した。
「じゃあ、あそこの公園に行って一休みしよう!」

 日曜の昼の公共の公園。実は、意外にこの時間帯は空いている。昼食時だというのもあるし、公園に来る様な子供が友達と遊ぶのは午後からが多いからだ。だから、まだこの時間は疲れた人間がベンチに座ったり、せっかちな子供が出ているだけで、買い物疲れの彰吾には心地よい量の喧騒だった。
「ふぅ…」
 やっと長い息が吐ける。ベンチに座って、袋も右手に置いて俯き気味に息を整える。体育の先生だかが息を整える時は直ぐに運動に移行出来るように上を向いて整える様に言っていた様な気がするが関係無い。今は休む事が最優先事項だ。
 元々肉体疲労より精神疲労が多かったので、体力の方の回復は早かった。
 多少落ち着いて、時間を見ようと携帯を出し掛けて彰吾は顔を上げた。折角公園なのだ。確かここには大きなベルまで鳴る時計があった筈…物は探すまでも無く、公園の中央に聳えていた。
「えっと…十二時前か…っ冷たっ」
 ピトッと、頬に冷たい感触。親しんだ冷たさだ。
「あはは、引っ掛かった引っ掛かったー」
 缶ジュースという冷たさの元を持ったノウンが悪戯成功の笑みで迎えた。
「はい、彰吾」
 そのまま、今度は悪戯のネタを彰吾に手渡してくる。彰吾も無意識に手を伸ばして受け取った。
「あげるよ。喉渇いてたでしょ」
「ああ、サンキュ…って」
 タブを開け掛けて、今更ながらに彰吾は気付いた。
「どうやって持って来やがりましたか、これ」
 ノウンが持って来たジュースを飲む事自体は抵抗無いが、よりによって自分が付いてる状態で盗みなり何なりされては気分がいいものでは無い。ノウンもそれを察して
「あ、違うよ。ちゃんと買って来たんだよ。お金、落ちてたのだけど」
「何だ…一つ聞くが、落ちてたお金は財布丸ごととか帯封じゃ無いだろうな」
「違うよ。バラバラの場所で見つけた小銭だよ」
 だったら構わない。落ちていた金も、小銭では警察に持って行く者は人間だって少ない。
「ありがとな」
 カシュッ。爽やかな音でブルタブが開く。一口飲んで、喉を潤す。潤して、余裕が出来て彰吾は訊ねた。
「お前、自分の分は?」
 荷物とは逆側の彰吾の隣に座ったノウンは、手に何も持っていない。
「わたしはいいよ。喉渇いてないから」
 確かに、汗自体、彼女は掻かない様な事を言っていたが…隣に座り合って一方だけが飲むのも変な構図である。それに感覚的に、ノウンも喉が渇いている様な気がした。
「なあ…」
 缶ジュースを持った手を自分の腿まで落とし、彰吾は確信を持って疑問を口にする。
「小銭、足りなかったんだろ?」
「あ…」
 応えない。応えられないノウン。つまりは図星ということだ。
「言えばいいのに。ほら、買いに行くぞ」
 彰吾は右手に袋の輪を通し、自動販売機に行こうと腰を浮かす。
「い、いいよっ」
 ノウンが慌てた様子で、彰吾を止める。
「気にするなよ。ジュースなんて高いのでも缶ジュースなんて百二十円以下だぞ」
「それでもいいのっ!」
「どうしてそんなに遠慮するんだ?」
 らしくない。貰える物は貰うタイプだと思っていたのだが。
「そ、それはその…」
 ノウンは言いよどんで、今思い付いた様な顔をした。その思い付きを言おうとして、顔を興奮以外の感情で紅くする。
一呼吸して外に吐き出した。
「じゃ、じゃあっ、そのジュースの半分でいいからっ」
「なっ…」
 今度は、彰吾の方が羞恥で紅くした。男子同士の回し飲みでも無い。家族ですら恥ずかしくてする年頃でも無い。それを、自分より見た目年下、実年齢寿命差があっても大きく年上の女の子とやれ、と?
「お、お前な…」
「嫌なんだったら、わたしも、ジュース要らないもん!」
 プイと、ノウンは顔を背けた。ノウン自身は回し飲みなんて何でも無い。魂会にいた時だってした事はある。けれど、彰吾にこう言えば引き下がる様な気がしていた。そして、それは見事に的中したと思った。
「…分かったよ」
「え?」
 ノウンが振り返るより早く、彰吾は飲み口に口を付けた。
 喉が何度か上下して、口を離す。
「ほら」
 袋に触れない様に右の袖で口元を拭いつつ、左手に持った缶ジュースをノウンに向かって突き出す。訳も分からず、ノウンは彰吾と缶を見比べる。
「え? え?」
「半分、だろ」
「あ…」
 やっと、彰吾の言いたい事が判って、おずおずと受け取った。持って来た時とは違う重さ。でも、まだ感じる重さ。
渡して彰吾は乱暴にベンチに座り直した。顔を背けているのは、怒りからでは無いだろう。
「ありがとう、彰吾…」
 ノウンもまた、隣に座り直す。
「さっさと飲めよ。恥ずかしい」
「う、うん。そうだね」
 言って、ノウンは両手で大事に持った缶を口に持って行こうとした。が、一向に飲んでいる気配は無い。明後日を向いている彰吾にも、その気配は分かった。
「何してんだよ?」
「あ、えっと、は、恥ずかしいね」
「…馬鹿」
 彰吾はノウンが着てから増えた溜息を、また一つ増やすのだった。


 疲れが取れたのは、十二時過ぎだった。昼食の時間ではあるが、朝食が遅かった所為でそれ程空腹という訳でもない。かと言って、妙な時間に食べる事になるのも頂けない。
「彰吾、あれ何かな?」
「あれ?」
 ノウンが指差した先は公園の外、ゆっくりとした動きで移動していく変な形の大きな箱。車の中で立ち、上半身を外に出せるだけの大きさの窓もある。
「そうだな、あれでいいか」
「あれって?」
「付いて来れば分かるさ」
「ちょっ、待ってよ~」
 彰吾は駆け足に駆け出した。ノウンも、カーディガンをはためかせてその後を追った。

 幸いな事に、店主は目的地に移動する前に捕まえた彰吾とノウンに対しても応対してくれた。
「へぇ~。これってお店だったんだ」
 世間一般ではこれを移動型店舗という。
「で、何頼む。メニュー表、案外選り取りみどりだぞ」
 彰吾の言うように、紙に書かれているメニューは移動型店舗とは思えない種類があった。
「彰吾は何頼むの?」
「俺はホットドッグだけでいい」
 無理に多くの量を注文する事も無いだろう。今欲しい分だけで充分だ。
「そうなの? じゃあ、わたしは彰吾の同じのと…ヴァニラチョコチップクレープって食べてみたいな」
 ヴァニラチョコチップクレープはお薦め商品と書かれていた。店主の自信作なのだろう。
「分かった。お兄さん、ホットドッグ二つと、ヴァニラチョコチップクレープ一つ」
「オーケー。ホットドッグと、ヴァニラチョコチップクレープな。ホットドッグは、マスタードはどうする?」
「俺は有りで…こいつは…」
「わたしも有りでいいよ」
 彰吾が促して、ノウンも選択する。
「お前、食えるのか?」
 辛いの苦手そうなのに、という意味を込めて彰吾は訊ねたのだが、
「大丈夫だよ」
 本人がそう言っているのであっさり引き下がった。
「了解。ちょっとだけ待ってくれよ、お二人さん」
 程無くして、注文したメニューは出された。
「はいよ」
「ありがと」
「ありがとう、お兄さん!」
 満面の笑顔で礼を言われる事。客商売での一番の充実の瞬間だろう。
「食い歩きながら買い物の続きでもするか。って、お前は一々入るから無理だな。公園に戻って食べ終わったら出発にするか」
「うん」
 駆け足になるノウンの後を追って歩き出した彰吾を、
「ちょっと待った」
 移動店舗の兄ちゃんが呼び止める。
「何ですか?」
「いやね。彼女、いい娘だなあと思ってさ。大事にしろよ」
「あ、いや…」
 彰吾が反論する間も無く、彼は運転席へと引っ込んで行った。
「じゃなぁ。昼間やおやつタイム以外はその辺うろうろしてるから、見つけたらまた買いに来てやってくれや!」
 そう言い残して、ゆっくりとした運転で動き出した。彰吾は一つだけ逸らしていた、友人とのからかいや建前以外の一つの事実を揺さぶられて、それでも改めてノウンの後を追いだした。

 その後も、街をぐるぐると見て回った。
 見て回って、見て回って、ジュエリーショップで買えもしない、彰吾の所持金ギリギリの値段の指輪を眺めていたノウンが、突拍子も無く、言い出した。
「彰吾、これって、デートみたいだよね?」
 何を言っているのか。人間と死神のデートなんて、茶番以外の何物でも無いだろうに。けれど、こいつが死神だという事なんて、今日は意識しなければ分からなくなっていた。
「好きに言ってろ。何言っても買わないし、そんな高い物買えないぞ」
「でも、綺麗だと思わない?」
 ノウンの意見を求める質問に、彰吾は改めてその指輪を見た。リングに丁度いいエメラルドグリーンの宝石が付けられている。緑でなく、反射の加減で緑海に見える、その光。
「そうだな」
 それだけ、忌憚無く応えた。

 結局家路に着いたのは、夕飯も食べ終えた七時過ぎだった。
「彰吾、今日はありがとう、我侭聞いてくれて」
 殊勝に礼を述べるノウン。
「いいよ。別に暇だったしな」
 彰吾は照れ隠しに前髪を掻きながら言う。
「したいんなら、明日も付き合ってやっていいぞ。和樹や雄太と約束してるけど、冷やかされるの分かってるからな」
「う~ん…明日はいいや。今日一日一緒に遊んでくれたし、彰吾の予定曲げさせる訳にもいかないもんね」
「そっか」
「うん。あ、そろそろ家近いね。丁度人居ないし、見えないようにするね」
「ああ。っと、ところで、その服どうする? この袋も」
「あ、大丈夫だよ。そっちの服はあっちのものだから、見えない様にすれば見えないし、こっちの服は、着てれば分からないし、仕舞おうと思えば仕舞えるしね」
「そうか。安心した」
 もしこの服が見付かって、家族に女装願望があるとでも思われては堪らない。ノウンの言う仕舞えるという収納方法が不可思議だが、そういう能力が有るのだろうと納得させた。
 彰吾から袋を受け取って、ノウンはまた、姿を彰吾以外に見えなくさせた。
『もう見えないようにしたから、あんまり大きな声で話したら変な人だと思われちゃうよ?』
「分かった」
 至って小声で返して、先延ばしにしていた家族への言い訳をどうするか、考えだした。


「ただいま」
『ただいまー』
「ああ、お帰り」
「お帰りなさい彰ちゃん、ご飯、食べてきたの?」
 家に帰っての両親の反応は、彰吾が考えていたよりも数段穏やかなものだった。勢いよくとは言わないが、怒られる位はすると思ったのに。子供に自由ながもっとうな二人とはいえ、あんまりにも反応が鈍い。
「う、うん」
 帰宅の挨拶は、自分の存在を確かめさせるもので、つまり反省の意味も込めたものだったのだが、両親の状態に彰吾は困惑する。
「けど彰ちゃん、亜紀にあんな事言っておいて、自分にいるんなら何で教えてくれないのよ」
「はい?」
「はい? じゃないだろう。今日お前が本当に帰って来なかったから、藤永さんや安永さんの家に行っていないか連絡したんだ。そしたら…」
 あ、話見えてきた。
「「可愛い、髪の蒼い女の子と一緒にいた(って聞いたわよ)そうじゃないか」」
打ち合わせでもしたように、ハモらせる二人。この辺は夫婦の絆というやつだろう。
『彰吾、どうしたの?』
 今は二人には見えない存在のノウンが、俯いてわなわなと震えている彰吾に声を掛ける。
「明日あいつぶん殴る」
 あいつとは、勿論ブティック店の息子の雄太の事である。情報の出所はまず、そこが本線だろう。対抗で街を歩いていた友人に見られた事だが、これは考えなくていい。何より両親が明言しているのだ。安永さん(雄太の家)に電話したと。つまり、漏洩者は雄太に決定。
 事実、漏らしたのは雄太であった。但しそれは意図的にという訳でなく、彰吾の両親が既に知っていると勘違いしての発言だった。会話をよく考えれば、電話相手の英吾がこの話を知らないと分かる点も多かったのだが、現実に会話を作っていてそこまで理解するのは難しい。まして、騙し合いをする訳でなく只のご近所さんとの電話なのだから。救いなのは、雄太が途中でそれに気付き、彰吾が女の子に服を買っていたと言わなかった事だろう。言われていたら洒落にならない。
「それで彰ちゃん。女の子の名前はなんていうの?」
 最早今日一日その女の子に費やしたのは確定と見て、沙希が彰吾に訊ねてくる。
 沙希は女の子の名前を知らない。英吾も、直に会っていた雄太達も。人間で知っているのは、恐らく彰吾だけだろう。それどころか、彼女の真実を知っているのも、自分だけだろうと。彰吾はノウンを知っているつもりになっていた。
「名前は…まあいいじゃん」
 観念して応えても良かったのだが、あの名前は不味いだろう。セカンドネームというものも無い。説明が大変になる。はぐらかす方がまだ楽だ。
 案の定、母となり歳を重ねても好奇心は少女時代と同じ沙希は粘ってきた。
「えぇ~…いいじゃない、名前ぐらい教えてくれても」
「嫌なんだよ。教えたらそのまま電話帳で調べて電話しそうで」
「あら、何で分かったのかしら?」
 帰り道に考えていた中の、ノウンと歩いていた事がバレていた事を前提とした嘘の理由。沙希を貶めてしまうかとも思っていたものが、実際はピンポイントだった。
 二人の会話を終着させたのは、一家の大黒柱英吾であった。
「まあまあ、いいじゃないか沙希。彰吾も、教える気になればその時教えてくれればいい」
 一先ず、この折衷案が採用された。
「ところで亜紀は? 風呂?」
「ああ。沙希とお前の帰りを待っていたら、付き合っていられない、とな」
「だろうね」
 そういう性格だ。関心事以外は比較的冷めている。
「父さんも母さんも入ってないみたいだから、俺、最後でいいよ。部屋にいるから、空いたら教えてね」
 伝えて階段を上る彰吾の背に、
「明日の晩御飯は彰ちゃんをお祝いして鯛の刺身にするから、期待しててね」
 そんな母の言葉が投げられた。

 部屋に入って彰吾はベッドに凭れ掛かり、座り込んだ。はぁー、と一つ大きく息を吐く。疲れた。精神的に疲れた。ノウンにあれだけの時間連れ回された疲労より、実の両親を誤魔化す方が余程疲弊する。
『彰吾』
 耳朶によく通る声。けれど、落ち込んでいる訳でも無いのに、何故か張りが足りなかった。申し訳無さそうなニュアンスを含んだ声音。
 彰吾は顔を上げて、その後少し落として、並んで座っていたノウンを見た。
「何?」
『彼女って…否定しなくてよかったのかな?』
「そんな事気にしてたのか?」
 彰吾はやや仰天したように言った。こういう事から一番遠いのがノウンだと思っていたから。
『そんな事って、人が心配してあげてるのに』
 少し怒った様な声。
「デートみたいって言ったのはお前だろ」
『それは…そうだけど…』
 今度は痛いところを衝かれて沈む声。
「嫌だったか?」
『そういう問題じゃないでしょっ』
「俺は、結構楽しかったし、嬉しかったけどな」
『―――え?』
 ポカン。そんな音がしそうな、呆然とした顔。感情がコロコロ変わる。
 情緒不安定という訳でなく、それが彼女の性質であり―――魅力
「つまり、今までお前が気にしてる様な人間だか死神だかの違いで気付かないフリしてた気持ちに、気付いちまったって事」
手を伸ばして、肩に置く。ノウンの顔色は悪い。
『ヤ、ヤダ…』
 逃げる事も出来ず、せめて耳を塞ごうとするノウンの手を、彰吾は掴んだ。
「―――好きだ」
 言葉は魔法。その中でも、最上級の魔法。好転悪転、どちらにも変わる魔法。
『ヤ、ヤダァァァッッ!!』
 聞いてしまったノウンは、もう普通ではいられなかった。人間には無い、超能力の様な力で彰吾の身体が壁へとぶつかる。肺胞の中の息が全て外に吐き出される様な衝撃。意識を失わなかった事は幸か不幸か。ノウンが頭上を跳び越え窓から外へ出て行くのを声も上げずに見ているしか出来なかった。

 コンコン
 形式的なノックが、二度される。亜紀だ。服はパジャマに着替えている。
「彰吾、お風呂空いたわよ。母さん達、後でいいって言ってるから、先入りなさい」
 用件を扉越しに伝えるが返事は無い。
「彰吾?」
 再度声を掛けるも、返事は無い。
「入るわよ」
「あ、いいよ亜紀。起きてる」
 寝てるのだと思ったが、一応断りを入れてノブを開けようとした亜紀に、やっと返事が返って来た。
「起きてるなら、さっさと返事しなさい」
「ごめん。ちょっとボーっとしてた」
「まあいいけど、わたしが何て言ったかちゃんと聞こえてる」
「ああ。風呂、だよね。直ぐ入るよ」
 彰吾が立ち上がった気配が、扉越しに伝わってきた。
 程無くして、ドアは開いた。
「…彰吾」
「何?」
 片手に着替えを持って、浴室へと向かっている彰吾を、亜紀が呼び止めた。
「あんた、ホントにボーっとしてただけ?」
「そうだよ」
「何か、違うんじゃない?」
「違わないよ。只…」
 一呼吸、間が開いた。
「俺も亜紀の言うところの、ガキだって事」






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