夕方の商店街の賑わいの中、髪をヘアバンドで留めた少女が買い物袋を提げて歩いていた。男女訳隔てなく快活な彼女ではあるが、今は一人、静かなものだ。幾ら明るくとも往来で相手もおらずテンションを上げる事は無い。それでは変な人も甚だしいし、人によっては不快にさせる。
 と、母に頼まれた買い物を終えた彼女の眼に見覚えある男の姿が見えた。碌に自己紹介もした事がない相手だが、大切な親友の幼馴染。これは声を掛けない訳には行くまいて! 妙な使命感と共に見間違いの可能性を考慮せず、彼女―吉岡チエは駆け出し、声を張った。


「セェンパイ! こんばんはッス!」
 呼び掛けられた声に先輩―河野貴明は振り返り、表情を固くして後退る。口からは「っ」と忌避とも悲鳴とも付かない声が漏れた。呼び掛けられた相手は知っている。一つ年下の幼馴染の友達のタヌキっ子だ。このみはよっちとか呼んでいたか。名前は知らない。
「センパイ? どうしたッスか?」
 返答のない貴明に、よっちは怪訝そうにもう一声掛ける。
「あ、ああ。こんばんは」
「はいこんばんはッス!」
 漸く返された挨拶に、よっちも改めて挨拶した。
「えっと。買い物帰り?」
 貴明が内心の動揺を隠してよっちの持っている買い物袋を指差す。会った時何だかんだ理由を付けて逃げていた数ヶ月前を考えると随分な進歩と言えるだろう。
「そうッスよ。ネギに玉葱に卵に鶏肉、さて、今日の晩御飯は何でしょう?」
 突然のクイズに、貴明はよっちの挙げた材料から素直に想像出来る答えを口にした。
「親子丼?」
「ん~、残念! 牛丼ッス!」
 よっちは俯き気味の姿勢で反動を溜め、勢い良く上を向くと共に不正解を宣告し正解を告げる。その行動でこのみと同学年とは思えない発達した胸が若干揺れた。
「種を明かすと牛肉は家にあって、鶏肉は特売日だから買って、卵は家にあるのがもう切れるしお買い上げ千円以上で一円のサービスやってたから買ったんスよ」
「ずる…」
 与えられた情報だけで解くには些か反則気味の種明かしだった。
「あははは。気にしない気にしない! ところでセンパイは何やってたんスか?」
「買出しの手伝い。終わったけどね」
 周りにその手伝った相手がいないのは、終わったの言葉が示す通り一人で学校に戻って行ったからだ。
「女ッスか? 女っしょ? 青春ッスねぇ~」
 よっちは偶に鋭い。買出しのパートナーは貴明のクラスの委員長、小牧愛佳だった。自分の管轄でないのに買出しを受けた彼女は本当に人が良いと思う。それを手伝う自分も人の事は言えないが。
「委員長だよ」
 性別を伏せているだけで、嘘は言ってない。
 会話は歩きながらもしていたのでアーケードの出口まで来ていた。
「それじゃ、俺もう帰るから。君も暗くなる前に帰りなよ」
 最近女の子の知り合いが増えはしたが、免疫力が飛躍的に向上している訳ではない。彼女の様に快活なら尚の事だ。貴明は早めに話題を切り上げる事にした。
 そそくさと歩き出そうとする貴明の腕を、よっちが買い物袋を提げているのとは逆の手で掴む。貴明は今度こそ悲鳴を上げそうになった。が、それを行った際の相手の心情を慮り喉奥で飲み込んだ。
「チエッスよ。吉岡チエ。センパイ、名前知らないみたいッスから」
 ああその通り。自己紹介も満足にやっていないし、このみからだってフルネームを聞いた事もない。
「あ、っと…じゃあ、吉岡さん」
「てりゃっ」
 何故か取られた腕を捻られた。拍子に押し付けられた胸が柔らかかった。
「な~んで苗字で呼ぶんスか! 先輩らしくチエ、でも気軽によっちでもいいんスよ?」
「何で苗字じゃダメなんだっ!?」
「何でもは何でもッス」
 理不尽だ。理不尽だが、解放されるには要求を呑むしか無さそうである。一瞬チラッとだけもう少しこのままでもいいかと思ったが、それを実行に移せるのなら女の子苦手ですなんて言ってない。…誤解されそうなので言っておくが、嫌いじゃなく苦手である。初心な小学生と言えば分かり易いか。
 貴明は覚悟を決めて、彼女の名前を声にしようと口を開く。
「――チエちゃん。これでいいかい?」
 言うよう仕向けておいて、チエにとってその衝撃は思いの外大きかった。
「…なあ、分かったら放してくれない?」
「あ、あ~。こりゃ失礼しました」
 チエは慌てて貴明を解放する。今が夕方でよかったと思う。名前で呼ばれるのは兎も角ちゃん付けは意表を衝かれ、気恥ずかしかった。
 しかしそんな感慨は直ぐに消え、
「それじゃあ、センパイ、また今度ッス!」
「気を付けて帰れよ」
 元気良く駆け足でチエは貴明とは別の方角へ帰って行った。
 中学時代なら、或いは、同じ高校ならまた明日という厳密な決められた再会だっただろうが、別の高校の今では不確定。折角自己紹介したのに次の出逢いは偶然頼み。そんな想いが、何と無く胸に蟠った。








 たったこれだけに一時間掛かった。
 よっちの場合テンションを上げるのがきつくて書きにくい。それ以上に貴明のよっちに対する対応が思い出せなかった。
 続ける予定ですが、捏郁みたいなネタにはならない筈(っていうかあれもう一回やれって言われても無理)






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