放課後。貴明は帰り支度の終えた鞄を持ち、教室を出、一つ隣の扉が閉められた教室を眺め遣った。貴明のクラスは何だかんだで委員長の愛佳を中心に纏まっているので他のクラスよりHRの終了が早い。今日は連絡もあり、その差が顕著に表れている。
「じゃな、貴明」
「ああ」
雄二の挨拶に手を上げて返す。
家に帰る者、友達とだべる者、部活に向かう者その流れに邪魔にならない様に貴明は流れる人を避けて停止している。
「わたっ」
「とわっ、ごめん」
矢先から避けそこなった。しかも多少慣れてきたとはいえ、悲鳴からして女子の様だった。以前ほど取り乱しはしないが、由真以外の女の子だと緊張してしまう。
「こ、こちらこそ不注意で。河野くんも大丈夫でしたか?」
「あ、小牧だったんだ。俺の方は大丈夫だよ。流石に女の子に当たられて怪我するほど柔じゃないから」
小柄気味の相手を見下ろし、クラスメイトで女子の唯一人の友達といっていい小牧愛佳が相手と分かり、貴明の強張りが幾分取れた。
「由真を待ってるんですか?」
「あ~…うん」
愛佳の推測はドンピシャリ。貴明が属するのは割りと数の少ない、他クラスの人間を待つ者のカテゴリだった。
頬を掻きながら肯定する貴明に、愛佳は微笑ましさを感じて頬を緩ませる。
どちらかと言えば静かでクールに見えていた由真が、ここ数日貴明絡みでなくとも明るく快活に過ごしていた。その姿に愛佳は軽い驚きと、楽しそうな由真にそれ以上の嬉しさを覚えた。
「頑張って下さいね、河野くん」
出来れば、由真の夢も叶えてあげて欲しい。そんな想いを込めて、愛佳はエールを送り、貴明の戸惑い気味の返答を背に階段を上っていった。
「お。終わったかな?」
隣のクラスのHRも終わり、正しく漸くという感じで、力無く開けられたドアから長く纏りのないHRを引き摺ってだらけている生徒達が出て来る。
その波の中、同様に疲れた表情の待ち人の姿が貴明の目に映った。見つけたのは相手も同じらしく、近くの階段に向かわず近付いてくる貴明に彼女も向かって行った。
「お疲れ」
「お待たせ。そっちは愛佳だからかなり早かったんじゃない?」
「ああ、一番に終わったよ」
片手を上げて労いの言葉を掛ける貴明と、応じて片手を上げる由真。心なしか眼鏡のフレームがずれてる様に見える。
「馬鹿みたいに廊下で突っ立ってたんでしょ。先に下まで降りてても良かったのに」
「う~ん…そうするぐらいなら今度は教室の前で待ってるよ」
貴明の提言に、由真は吐息しながら眼鏡を直した。
「あんたがいいならいいけどね。かなり目立つと思うわよ」
「俺もちょっとそう思った」
お互い軽く噴出して、小さく笑い合った。
「今日はどうする? ゲーセン寄ってく?」
由真の方から一応の場所の提案が出た。しかし貴明は通常の高校生、対人戦目的で台に座りっ放しでは財布が不安だ。
「ゲームなら俺ん家でやらないか? 普段やってる格ゲーならコンシューマ持ってるし」
「そっちの方がいいならそうするけど、変な事しないでしょうね」
「変な事はしないって」
言われてみて思い描いてしまった至極正常な事はするかもしれないが。
「あははっ。冗談冗談。さ、早く行きましょ」
由真はスタンドを解いた自転車を乗る形でなく押して駐輪場から外した。
貴明の歩調に合わせてやる。その行為が自然と行われている。
「自転車で帰らないか。俺が漕いで、お前が後ろに乗って」
自転車を指差しながら貴明は帰路方法の変更を発案した。
「あんたに漕げる? あたしは軽いけど、二人乗りって普段自転車乗らない人間には利くのよねぇ~」
由真が挑発気味に、しかし楽しげに事実を語り貴明を煽る。因みに彼女は乗り慣れているので、荷重が男性にしては軽目の貴明を乗せてもスピードは落ちないのは、貴明も身を持って知っている。
「お前が軽いのは知ってるよ。それにその軽い女の子一人乗せて、二人乗り出来ないほどひ弱でもないぞ」
これでも体力テストは平均より高いのだ。今年は特に。襲来した環の特訓のお陰で。思い出しただけでも泣けてくる。
「そういう事を平然と言うな! もうっ」
「どうしたんだ?」
突然真っ赤になってハンドルを押し付けてきた由真に、貴明の頭に疑問符が飛んだ。
貴明がサドルを跨いで、由真が後輪の出っ張りに脚を引っ掛ける。
「…乗りにくい。荷台付けてもらおうかな、そんで立ってるの」
「危ないぞ」
「両手肩に乗せたら大丈夫だって」
「いや、パンツが見えるだろ」
由真は軽く貴明の肩を抓る。
「今も片手で押さえておいた方がよさそうね。あんたが今度二人乗りで帰るつもりがあるなら早く言ってよね。体育のブルマ履きっ放しにしておくから」
「了解。でも、スカートの中から見えた場合、パンツと大差無い様な痛たた」
由真は余計な事を言う貴明の両頬を引っ張った。三秒ほどで勘弁して手を離す。
「…あんた最近向坂の弟に似てきたわね」
「うわっ、それは嫌だな」
親友の事とはいえ、ブルマをケツと言って憚らない人間と同列に扱われたくは無い。
「まあ、そろそろ行こうか」
生徒達の注目は由真が以前の様にヒステリーな声をマシンガンの如く乱射しているわけでは無いので余り集まっていないが、一応禁止の二人乗りをするのだから教師に見咎められる前に走った方がいいだろう。
「飛ばすからしっかり掴まってろよ」
「はいはい、お任せするわよ」
由真の返事と肩に乗せられた手に加わる力を確認して、貴明はペダルを踏むというより、押し込んで脚を地面から離した。
由真のものより力強いサイクル運動。初めてかもしれないサドルの後ろから見る自転車の景色。もう一つ、見た目よりも大きく見える背中が前に。
左手でスカートを押さえたまま肩だけを掴んでいた右手を貴明の胴に回して、由真は身体ごと貴明に預けた。
「たかあき」
「ん?」
「明日もこうやって帰ろうか?」
「由真がそうしたいんならな」
「うん」
―――地面を回る車輪の様に、二人の季節もまたくるくると回り出したばかり。