夕飯過ぎの和屋敷の厨房。ちゃるはガスコンロに鍋を掛けていた。家政婦は雇っているが、家族へ出す食事は大抵母かちゃるのどちらかが作っている。家政婦さんも納得済みなので領職侵犯しているわけではない。
 小気味良い音を立てながら、チョコレートが刻まれていく。
 ちゃるは経験から適切なサイズに刻んだチョコを、パックに入れて湯煎に掛ける。
 下を向いていた為にずれた眼鏡を掛け直し、違うまな板で作業を進めていた母の座っている隣の椅子に腰を下ろす。母はちゃるの倍近くのノルマがあったにも拘らず、既に全て湯煎に掛けている。長年の技術、流石の手際だ。
 基本的に和食家の二人が、お菓子も和菓子が好きな二人が、何故畑違いのチョコをこれ程大量に作っているのかというと、偏に明日がバレンタインだからである。
 ちゃるは冷凍庫を横目で見る。あの中には今作っている社員に渡す量産の義理チョコとは違う、大切なチョコが先んじて納められている。母のものは勿論、ちゃるの物も。
 今年は一つ増えたが、評価はどうなる事やら。

 翌朝、父に母と共に専用チョコを渡し、ちゃるはいつもの通学路に乗った。
「おっはよ! ちゃる」
「…おはよう」
 程無くするまでも無く通り掛った家屋の玄関から、片手を上げたよっちが出て来る。馬鹿みたいに明るく人当たりもいいちゃるの幼馴染。ヘアバンドがお洒落ポイントなのだそうだ。
「ん」
 ちゃるは鞄から簡単に取り出せる様に上方に位置させていた手の平大の包みを取り出し、よっちに突き付けた。
 よっちは自然な動作でそれを受け取った。
「毎年毎年ご苦労さん。ほいっ。例によってあたしのは市販だけど勘弁してよね」
「分かってる。よっち料理下手」
「ぐぅ…はっきり言う。貰うだけじゃ悪いと思って女の義理チョコ相手に態々買ってやってるのに~」
「頼んでない。よっちが勝手にやってるだけ。それに、義理じゃないよ、専用」
「あ~はいはい。そうだったね。本命じゃないって言い直しとく」
 よっちはちゃるに市販のラッピングのままのチョコを押し付けて、ちゃるに渡された包みを開ける。今年はチョコトリュフだった。
「相変わらず凝ってるよね~、あんたの。これで味が…」
 よっちはトリュフを一口放り込む。ほろ苦く甘い味が広がった。
「もうちょっと甘けりゃ美味しいのに」
「…味覚の差だからしょうがない」
「何年も贈ってるんだからあたしに合わせろ~!」
「嫌。…私は美味しい。よっちの舌がお子様なだけ」
「言ったなこの老成ギツネ~!」
 ちゃるの首をよっちが後ろから絞める。まだ人通りの少ない通学路で二人はじゃれ合っていた。

「こ~のみ~!」
 通学路の合流点。このみを見つけたよっちが声を張りながら駆け出す。ちゃるも後を追った。このみも気付いて、振り返った。
「お~っはよ!」
「…おはよう」
「よっち、ちゃる~。おはよ~」
 このみは二人を春の匂いがする笑顔で迎える。見ている方の頬も自然に綻ぶ天使の微笑。ちゃるにとっては語弊ではない。彼女にとってよっちが最も大切な親友であるならば、このみは神聖な親友なのだ。
「センパイも、おはようッス!」
「お、おはよう」
「…おはようございます」
 よくこのみと一緒にいる河野貴明先輩は、
「じゃ、じゃあ俺先に行くな!」
 相変わらず二人が近付くと脱兎の如く逃げ出した。嫌われているのか、或いは思春期特有の男子の反応か。まともに自己紹介したこともないので、多分後者だと思われる。
 貴明の足音が残っている中、ちゃるは包みを取り出した。
「このみ、あげる。チョコだ」
「え? いいの? ありがと~」
 このみはちゃるに渡された包みに素直に喜ぶ。よっちとは大違いだった。
 よっちに初めて専用チョコを渡した時は随分嫌そうな顔をされたものだった。やはりこのみはよっちとは一線を画している。ちゃるはこのみの純粋さを再確認した。
「もしかしてちゃるの手作り?」
 勘付いたのは包みが市販でよくある包みとは違うからだろう。
「そうだ、食え」
「うん」
 このみは先刻のよっち同じ様に、トリュフの内一つを摘み口に運ぶ。咀嚼して嚥下。
「うん、ほろ苦く甘くて美味しい」
 このみのふにゃりと蕩けた顔に、ちゃるはよっちへ勝ち誇った笑みを向けた。

 因みにこの場にもう一人の幼馴染向坂雄二先輩がいないのは、このみから貴明と共に例年通りチョコを貰った後、学校にも漁りに行ったかららしい。結果は押して知るべし。





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