日差しが暖かく桜吹雪が舞う四月。変わり映えのしないダラダラとした訓辞も聞き終え、やっとの事で入学式は終了した。
「どうでもいいけど、入学式と始業式って一緒にあるものなのか? 余分な出席がなくて助かるけど」
「んな事、俺に聞かれても」
 新しい教室、新しい机新しい椅子。そして変わらない面子。学年が変わってもメンバーが大きく変わるわけではない。貴明、雄二、愛佳は同級だった。由真とは相変わらず違うクラスだし、このみが同じ学校に入学してくるのもいつもの事だ。まあ、一つ違う事と言えば、
「タマ姉のクラスも終わった頃かな?」
 環が三年に転校してきた事ぐらいだろうか。西園寺女学院に転校すると聞かされていた貴明にはサプライズだった。このみは非常に喜んでいたが。
「姉貴は終わっただろうけど、チビ助はまだだろうな。ほら、部活動紹介あるだろ?」
「そうだな。そういうわけで小牧、由真、もうちょっと掛かりそうだ」
 丁度HRが終わりやって来た由真と、聞き耳を立てていた愛佳に告げる。
「え、あ、はい」
「しょうがないわね」
 耳を欹てていたことが始まったのか、おどおどと答える愛佳。由真の方は納得済みに頷いた。
 今日は貴明の幼馴染が初めて郁乃の見舞いに行く日。顔見知りになっておく為に由真も誘った。

 校門前で長い髪を変則ツインテールにしているそこいらの女子校生には絶対に真似出来ないスタイルと、美貌を兼ね備えた少女と言うより女性の環がいた。環は貴明達に気付き、軽く手を挙げ手招く。
「あの人が河野くんのお姉さん」
「雄二のお姉さん。俺の幼馴染で、姉貴分だけど」
「い、言い間違えただけですよぉ。似てますよね? こうのとこうさかって」
「「「………」」」
「何で黙るのぉ…」
 愛佳は緊張で発言に混乱が見られる。無理は無い。環には同性なら誰でも羨む容姿に加えカリスマがある。九条院でも支配者状態だったとか、何とか。上に立っても権力を余り意識しない環の事、支配は冗談にしても周りに信奉者がいた可能性は極めて高い。現に今も、貴明や雄二よりも身長の高い三年生だろう男子が環の前で一礼して通り過ぎている。
「姉貴、もしかしてもう自分のクラスは陥落させちまったのかな」
 苦笑気味に言う雄二の笑みが引き攣っているのは有り得るからだろう。貴明と由真は曖昧な表情で黙り、愛佳だけが分かっていない様子だった。
「っ初めましてタマお姉さん。あたし、小牧愛佳って言います! 河野くんや弟の向坂くんにはいつもお世話になってますっ」
 合流して開口一番、愛佳は自己紹介をした。下げた頭から上目遣いに環の顔を覗き見る。唖然とした後小さく噴出した。唐突な挨拶なのは自覚しているが、笑われるような事を言っただろうかと発言を省みる。―――あっ!
「す、すみませんー! 向坂環さんの事、タマお姉さんなんて呼んじゃって」
 初対面での大失敗に、愛佳は体全てを使って謝罪する。
 環は貴明と雄二から聞いた通りの小動物チックな愛佳の振る舞いにイメージ以上の好感を抱いた。
「ああ、いいのよ。タマお姉さん、か。うん、悪くないわね。私も愛佳ちゃんって呼んでいいかしら」
 一も二もなく愛佳は頷く。環は愛佳に向かって手を差し出す。愛佳も動揺を落ち着かせて、緊張で滲んだ手の汗をスカートで拭き、掌を重ねた。
「初めまして。私は向坂環。宜しくね、愛佳ちゃん」
「宜しくお願いします。タマお姉さん」
 環は握手した手を離し、体育館を見る。
「後はこのみが来るのを待つだけね」
 環の言葉に貴明の頭に疑問符が過ぎる。
「あれ、タマ姉と由真って知り合いだっけ?」
「あら? 雄二、言わなかったの?」
 振られた雄二は後ろ頭を掻いて申し訳無さそうに白状する。
「あ~、悪い。忘れてた」
「全く、しょうがない子ね。まあいいわ。知り合いよ。頻繁に会ってるわけじゃないけど」
「でもタマ姉って九条院の寮にいたんじゃ」
 貴明の追及には由真が割って入る。
「あたしの家も名士だからね。環さんとは同じ街に住む名士同士、顔合わせ位はやってるわよ」
「へぇ…」
 昨日のあの高級車と、運転してくれた老紳士を思い出す。向坂の家が何をやっているかは貴明は実はよくは知らないが、あの長瀬源辰と名乗った老紳士は来栖川の執事だと名乗った。由真がその孫であれば名士らしい向坂家の長女の環と顔見知りになっていても不思議ではない。
 自己紹介も疑問も解決した所で、オリエンテーションが終わったこのみが合流する運びになった。

 平時よりも数倍賑やかな病院への道のり。女は三人で姦しいものだが、四人の上に男二人が追加なら人数は単純に倍。相乗効果で姦しさは何倍だろうか。バスは使わずあくまで徒歩で向かう六人組。送られる男達の視線が気になる貴明だった。只でさえ平均レベルが高いと言われているあの高校で、ここにいるのは更に選り抜きなのだから嫉妬の視線が来ても仕方がない。因みに、雄二はまるで気にしていない。
「それじゃあ、私達も時々書庫に手伝いに行くわ」
「うん。このみも手伝うよ」
 愛佳が貴明の馴れ初めを話させられて、それを聞いた環とこのみの応援。愛佳は遠慮していたが、貴明に屈している事を考えるとこのみは兎も角、環には逆らえまい。
「そう言えば、由真は知ってたのか? 書庫の整理」
「一応。でも遅くなるとおじいちゃんが学校の中まで来るから、手伝えないで逃げてる」
 横断歩道で信号が赤なので、車は来ていないが待つ事になった。
 先客に藤色の髪をした少女と、黒猫がいた。
 飼っているのだろうか。貴明は思っただけで聞く気はない。
 車のエンジン音が近付いて来た。姿も確認出来る、乗用車だった。
「ニャーっ!?」
 少女の声に視線が集まる。黒猫が道路へと身を躍らせていた。
 一瞬遅れて少女が黒猫を追って飛び出す。直ぐそこまで来ている乗用車がけたたましいブレーキ音を奏でる。このみ、愛佳、由真の三人は最悪の展開に眼を覆い、雄二は飛び出そうするかもしれない姉の進路に無意識に立った。
 その隣を、姉以上に近くにいた親友が通り過ぎた。
 タイヤの焦げる匂いと、向こう側の歩道で蹲っている少女と、道路の中央よりも奥で倒れている少年。
「―――ニャー」
 凍り付いた景色は、少女の腕の中から出て来た猫の鳴き声で解凍された。
「雄二、何ボサッとしてるのっ! 携帯持ってるでしょ、救急車!」
「あ、ああ」
 環の激昂した指示に雄二は慌てて携帯電話を取り出しキーを押す。
 環は道路に飛び出し、意識の有無を確認して反応の無い貴明の身体を起こした。車に当たっているのなら下手に動かすのは不味いかも知れないが、最後まで網膜に収めていた環には貴明と車が接触していないのは視認していた。
 貴明に助けられた少女は自力で身体を起こしている。当然だ。タカ坊が身を挺して助けたのに怪我なんてされていては堪らない。
「くっ、結構重いのね」
 身長は大きく違わないのだけど、意識のない貴明の体は重かった。
「いいんちょっ。住所やら何やら伝えるの頼むっ」
 雄二はセンターに繋がった携帯を愛佳に押し付け、環の手伝いへ走った。
『もしもし、どうしました?』
「あ、え、あ、えと。こ、河野くんが車にあっあっ」
「貸してっ。もしもし、交通事故が起きたのは―――」
 由真はパニック状態の愛佳から右手で携帯を引ったくり、フラフラと交通路に飛び出しそうなこのみの手を掴んで救急センターに住所を伝えた。
「手伝うぞ、うー」
「…頼むわ」
 雄二が駆けつけるよりも先に、貴明に助けられた少女自ら環とは逆側の肩に体を入れてきた。助けた人間に助けられる、何とも納得のいかない光景だったが、環は協力を受け入れた。
 ブレーキ音で集まって来た野次馬もあり、昼間の公道は俄かに騒然とし始めていた。






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