日常は若干の変化を持ちながら進んでいく。最たる変化は愛佳が二人に気を遣ってか、書庫の陣頭指揮を本格的に取り出したことだった。個室で郁乃と二人っきりになる貴明に「信じてますから」と色々問題のある発言を残して。…愛佳、発想が雄二と一緒だ。

 勿論病室で事に及べる訳も無く、二人の関係は今のところキス止まりだった。恋人になって何かが大きく変わったわけじゃない。只郁乃が貴明に少しだけ素直になり、触れ合うことが多くなっただけだ。それだけがとても尊いものに感じた。


 そして五月五日、郁乃の手術が決まった。日取りは五月十五日。
 同月の十日、病室を訪れた貴明は陳列された果物に短い溜息を漏らす。
「こりゃ、随分増えたな」
 眼に見えて増えた色取り取りのフルーツ、果物。パイナップル、メロン、マンゴー、リンゴ、ブドウ、ナシ、ミカン、マスカット、グレープフルーツ、ピーチ、バナナ。旬から時期外れまで何でもかんでも。中には見たことも無いようなものまで。
 郁乃が不快そうに頷く。
「手術が決まって、失敗したら何も見えなくなるから今のうちに沢山の色を見せてあげたいらしいわ。笑えるでしょ。ここまでされると失敗を望まれてるのかと思うわよ」
「いいじゃないか。只で美味しい果物を貰えたと思えば」
 早速ブドウを一房拝借。
「食うなとは言わないから、あたしにも取ってくれる?」
「あい」
 要求に答え、粒の締まった房を渡す。
「種抜きか」
 無い方が食べ易いが、果実の中の種にも醍醐味があるだろうに。
 郁乃と、貴明も食べ終わって芯をゴミ箱に捨てる。
「あのさ」
 何気無い感じで、郁乃は貴明に話し掛ける。
「ん?」
「手術に失敗したら捨てて行っていいから」
 郁乃のいきなりのカミングアウトに、貴明は腕を組み、首を捻って逡巡する。
「弱気にでもなったか?」
「仮定の話よ。失敗すれば盲人になって、退院して生活送れる充てもないんだから」
 事も無げ。郁乃にとって本当に構わないのだろう。
「重荷になるなら切り捨てられてもいいって?」
「そういうこと」
 郁乃らしい。貴明は郁乃の頭に手を乗せた。
「残念だがそれは無理だ。俺は今のお前と既に付き合ってるんだぞ。看護に人生費やしても離れない。俺をそんな人生にしたくなかったら頑張ってくれ」
「そうね。来るなって言っても来そうだし、あんたの人生狂わせるわけにはいかないしね。全く、こんなストーカーの何処に惚れちゃったんだか」
「…頼むからそれ言うのはやめれ」
 まるで色気も何もあったものじゃない会話。そんな会話も、気に入っていた。

 病院からの帰り道、貴明はゲームセンターに寄ってみた。日曜日に寄りたかったが、環が偏見を持っており、雄二無効票このみの一票で決まる状況で、環と貴明が誘惑しあってくるくる回った結果このみが倒れてお開きになってしまった。言ってて凄いな、その状況。
 回想にツッコミながら覗いてみる。対戦可能台は一通りやっているし、今遊ばなくとも雄二や由真と戦ることがあるだろうから却下。
 クレーンゲームか純粋一人用―――クレーンゲームの景品に何と無く興味深いものを見つけた。性別男の子のぬいぐるみが一丁放り込まれている。外を見ている糸で縫い付けられた眼と合った。
「……久し振りに腕を鳴らすか」
 欲しい物もないので狙いをぬいぐるみに決め、貴明の勝負が始まった。
 三コインほど投入してゲット。定価と大して変わるまい。
「ぬいぐるみっていうよりマスコットか」
 取り出してみて、さてどうしようかと考える。残念ながら貴明にマスコット集めの趣味は無い。郁乃に持っていってみようか。
「子ども扱いするなって言われそうだなぁ」
 不機嫌顔で自分を睨んでいる姿が眼に浮かんだ。
 それでも貰ってくれれば自分よりは有効活用してくれるだろう。駄目ならこのみがこういうの好きそうだし、案外タマ姉も。
 貴明はマスコットを取り敢えず鞄の中に突っ込んで、ゲームセンターを後にした。

 一時限目が始まる前、筆箱を取り出そうとして色付き布が一番に飛び込んできた。
「っと。昨日のマスコットか」
 入れっ放しにしていたのを完全に忘れていて、正直ビビッタ。郁乃に渡す予定の物だから、家に忘れるよりはよっぽよかったが。
 マスコットを取り出して鞄を机上で引っ繰り返す。机の中に置きっ放しの教科書も多いので、乱雑に扱っても床には飛び散らなかった。
「何やってんだ?」
「見て分からないか?」
 雄二の問いに行動で答える。今のところ宿題もテストもまだないので机の中に詰め込み、窮屈な思いをしていたマスコットを空っぽの鞄に入れ直す寸法だ。
「んで、このマスコットは」
「勝手に見るなっ」
 教科書を片付ける前に鞄に入れたのに、雄二は鞄を開け覗き込んでいる。
「郁乃ちゃんにあげるのか?」
 見るだけで、雄二はマスコットに触れようとはしない。妙な所で律儀だった。
 貴明はもう諦めて教科書を机に押し込みながら答える。
「貰ってくれればな」
「そりゃ、断りはしないだろ」
「? 何で?」
 貴明は片付けの手を止め、疑問符を上げる。
「ああ。何と無くこのマスコット、お前に似てるから」
「え?」
 雄二から鞄を引っ手繰り、口から覗いてみる。何の変哲もない笑顔のマスコットが一体。
「似てるか?」
「所々のパーツがな」
 雄二に言われてもイマイチ実感が湧かない。
 雄二は屈んでいた腰を伸ばし、肩を竦めて見せる。
「まあ、変なものでもないんだし。彼氏から貰って要らないとは言わないだろ」
 最後は親友にエールを送って席に戻った。
「まあ傍目から見て、自分に似てる人形を彼女に贈るなんていうのはバカップルに見えるかも知れねえけど。あー、この幸せ者めっ!」
 が、ちょっかいを出さずにはいられず、貴明の首にチョークスリーパーを掛けた。


「どうしたの?」
「ん? ああっと…」
 雄二にバカップル呼ばわりされたのを思い出していた貴明に、郁乃が怪訝そうに窺っていた。彼氏が彼女に自分に似たぬいぐるみを贈る。確かに考えるだに恥ずかしい。
 しかしそうなると、余計に他の人にはあげられない。貴明は一息して鞄の口を開けた。
「クレーンで取ったんだけど、要る?」
 差し出されたマスコットに郁乃はキョトンとした。一拍置いて――
「貰っとく。あんたの代わりに苛めてあげる」
「…次来たらボロボロとかやめてくれよ」
 苦笑を浮かべながら郁乃に贈った。郁乃は様々な角度からマスコットを眺め遣る。やはり似ていると思っているのだろうか。
 郁乃はマスコットを何処に置くか考えて、一先ず枕元に置く事にした。

 消灯時間。もう後は寝るしかない。郁乃はこれがアレルギー系統を一切含まない製品ででよかったと思いながら、なだらかな胸において眠った。


 そして、手術の日を迎えた。






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